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山田盛太郎 やまだもりたろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山田盛太郎
やまだもりたろう

[生]1897.1.29. 愛知
[没]1980.12.27. 東京
経済学者。 1923年東京大学経済学部卒業後,同学部助手を経て 25年助教授となる。 K.マルクスの『資本論』を研究し,その成果として『再生産過程表式分析序論』 (1931) を発表。 30年共産党シンパ事件で逮捕され大学を辞職。

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デジタル大辞泉の解説

やまだ‐もりたろう〔‐もりタラウ〕【山田盛太郎】

[1897~1980]経済学者。愛知の生まれ。東大教授。マルクスの再生産表式日本資本主義などを研究。野呂栄太郎らの「日本資本主義発達史講座」に参加、中心的執筆者となる。著「日本資本主義分析」など。

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百科事典マイペディアの解説

山田盛太郎【やまだもりたろう】

経済学者。愛知県生れ。1923年東京帝国大学経済学科を卒業し,1925年同大学助教授となる。1926年《大衆》同人,1930年共産党シンパ事件で東大を退職。1932−1933年《日本資本主義発達史講座》の編集に参画,そこに発表した論文を《日本資本主義分析》(1934年)として刊行,同書は講座派の代表著作となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山田盛太郎 やまだ-もりたろう

1897-1980 大正-昭和時代の経済学者。
明治30年1月29日生まれ。昭和5年共産党シンパ事件で母校東京帝大の助教授を辞職。野呂栄太郎らと「日本資本主義発達史講座」を編集・刊行し,講座派の理論家として活躍。11年コム-アカデミー事件で検挙される。20年復職して教授。農地改革記録委員会委員長。昭和55年12月27日死去。83歳。愛知県出身。著作に「日本資本主義分析」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまだもりたろう【山田盛太郎】

1897‐1980(明治30‐昭和55)
経済学者。愛知県生れ。1923年東京帝国大学を卒業し,25年同助教授となった。26年《大衆》同人,30年共産党シンパ事件で東大を退職する。32‐33年野呂栄太郎らと《日本資本主義発達史講座》を編集・刊行し,それに発表した論文をまとめて《日本資本主義分析》(1934)を著し,〈講座派〉の代表著作となった。36年コム・アカデミー事件で逮捕される。第2次大戦後,東大教授に復帰し,50年経済学部長となる。57年定年退職し,専修大学教授,ついで竜谷大学教授となった。

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大辞林 第三版の解説

やまだもりたろう【山田盛太郎】

1897~1980) 経済学者。愛知県生まれ。東大教授。1930年(昭和5)共産党シンパ事件で退職。戦後復職。野呂栄太郎らと「日本資本主義発達史講座」を編集。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山田盛太郎
やまだもりたろう
(1897―1980)

マルクス経済学者。明治30年1月29日愛知県生まれ。1923年(大正12)東京帝国大学経済学部卒業、26年に同学部助教授となって、マルクスの価値論、再生産論を研究したが、30年(昭和5)「共産党シンパ事件」で検挙され退職した。その後、日本資本主義の研究に進み、野呂(のろ)栄太郎などと『日本資本主義発達史講座』(1932~33)の編集にあたった。この『講座』に書いた論文を集めた彼の著書『日本資本主義分析』(1934)は、講座派理論の精髄ともいうべき著作で、これを聖典視する信奉者を数多く生み出した。36年には「コム・アカデミー事件」で検挙され、日本資本主義の研究を継続することは困難となり、39年以降は東亜研究所で中国農業の研究に従事した。戦後、東大経済学部教授に復職、農地改革やその後の農業問題、戦後日本資本主義の重化学工業化についての著作があるが、戦前におけるような強烈な影響力をもつことはなかった。57年(昭和32)に東大を定年退職して以後は、専修大学、ついで龍谷(りゅうこく)大学教授。昭和55年12月27日没。講座派の双璧(そうへき)といわれた平野義太郎(よしたろう)とは、くしくも同じ年に生まれ、同じ年に没した。[山崎春成]
『『山田盛太郎著作集』五巻・別巻一(1983~84・岩波書店)』

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世界大百科事典内の山田盛太郎の言及

【政商】より

…さらに,これら幕末期以来の三都の為替方や巨大特権商人に加えて,岩崎,安田,五代,渋沢,浅野,大倉などに出身や在官経歴などの結びつきを通じて,事業の独占や助成金などの便宜を与えて,あらたに政商として成長するのを助長したともいえよう。と同時に,〈特殊的寄生地主的政商(三井,三菱,古河,藤田,田中,川崎,浅野等)〉の〈巨大財閥創出〉と山田盛太郎が指摘したように,〈政商〉は〈財閥形成の出発点たるべきもの〉と規定されるのがふつうである。とするならばさきの〈人民の一階級〉たる〈政商〉をむしろ〈政商資本〉=〈前期的(商業)資本〉として性格づけ,単に流通過程における〈譲渡利潤〉の抽出だけにとどまらず,19世紀末の東アジアにおける歴史的条件とも関連しつつ,この〈前期的(商業)資本〉が,ひとまず〈産業資本および近代的商業資本へ転化〉し,この段階を経過しながら〈独占体=財閥資本〉に転化していくべきものと考えたい。…

【日本資本主義発達史講座】より

…1932年5月から翌年8月にかけて岩波書店より刊行された全7巻の講座。野呂栄太郎の柔軟で卓越した指導により,編者の大塚金之助,平野義太郎,山田盛太郎のほか,羽仁五郎,服部之総,風早八十二らプロレタリア科学研究所,産業労働調査所や大学などのマルクス主義理論家三十数名の執筆者が結集した。1931年以後の中国全面侵略戦争開始と労農運動高揚のなかで日本の情勢と革命運動の再検討のために,明治維新およびその後の日本資本主義発展の諸特質・矛盾を総体的に解明することをめざした。…

【日本資本主義分析】より

…1934年2月,岩波書店より刊行された山田盛太郎の著書。1932‐33年に刊行された《日本資本主義発達史講座》に発表の3編の論文をもとにまとめられた〈講座派〉の代表的著作である。…

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