日本鉄道建設公団法(昭和39年法律第3号)に基づいて設立された公団。従来、鉄道は企業自らが建設・改良工事を行ってきたが、資金的に困難となったので、鉄道交通網の整備を図り、経済基盤の強化と地域格差の是正に寄与することを目的とし、1964年(昭和39)3月、政府および日本国有鉄道(現、JR)の出資で設立された。主たる業務は鉄道新線建設であったが、このほか、建設した鉄道施設のJRおよびJR以外の民営鉄道への貸付、譲渡、貸し付けた鉄道施設の災害復旧工事などがあった。1999年(平成11)8月までに建設し、開業した路線は、99線2620キロメートル、工事線は21線757キロメートル。なお、1987年4月、国鉄改革法によって、政府および国鉄の出資はなかったものとし資本金を減額、そのほか業務規定などの整備を行った。また1998年10月、日本国有鉄道清算事業団(略称、国鉄清算事業団)の解散に伴い、同事業団の資産および負債を受け継いだ。2003年(平成15)10月、運輸施設整備事業団と統合し、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構となった。
[村木啓介 2018年7月20日]
『「写真で見る日本鉄道建設公団の歩み」編集プロジェクトチーム編『写真で見る日本鉄道建設公団の歩み』(2003・日本鉄道建設公団)』
鉄道新線の建設を推進するため,1964年3月,政府と国鉄の共同出資で設立された特殊法人。鉄道公団と略称(俗に鉄建公団と呼ばれる)。1922年の鉄道敷設法全面改正で定められた建設予定線178線,1万0220kmは,その後追加されて62年4月には231線,1万2199kmとなった。しかし実際に開業したのは71線,4662kmにとどまっていた。戦時中は工事が中止され,戦後の国鉄には新線建設の余裕がなかったからである。1951年の鉄道敷設法改正によって鉄道建設審議会が設けられ,62年5月同審議会小委員会(田中角栄委員長)が〈今後の新線建設の進め方〉をまとめた。そこでは鉄道新線の建設を,道路,港湾整備等と同様に政府の公共投資とし,とくに地方交通線についてはおもな財源を政府の負担とした。この提案に基づいて64年に日本鉄道建設公団が設立された。公団は青函トンネル(当時は調査中)を含め国鉄が行っていた新線建設工事を引き継ぎ,その後新幹線工事,大都市民営鉄道線工事も行うことになった。また80年以後は,地方交通線の建設は第三セクター鉄道のために行うことになった。完成した路線はJR,民営鉄道に貸し付け,または譲渡される。2003年に運輸施設整備事業団と統合し,独立行政法人,鉄道建設・運輸施設整備支援機構となった。
執筆者:鈴木 順一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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