日本大百科全書(ニッポニカ) 「日産サニー事件」の意味・わかりやすい解説
日産サニー事件
にっさんさにーじけん
1967年(昭和42)10月27日未明、福島県いわき市内の日産サニー福島販売株式会社いわき営業所の宿直員(当時29歳)が首・背中などをめった刺しにされて殺害され、事務所内が荒らされた強盗殺人事件。同市内に住む電電公社(現、NTT)職員、斉藤嘉照(よしてる)の無期懲役が確定したが、斉藤は仮釈放された後、再審請求を行った。福島地方裁判所いわき支部では再審開始決定が出されたが、仙台高等裁判所で取り消された。最高裁判所の「白鳥(しらとり)決定」以降、重大再審事件で初めての再審開始取消し決定であった。
[江川紹子 2018年4月18日]
事件発生~判決確定
事件は、1967年10月27日午前7時半ごろ、同営業所に出勤してきた社員が遺体を発見して発覚した。現場には、椅子(いす)や灰皿が散乱し、被害者の血が飛び散るなど、格闘の痕跡(こんせき)があった。血のついた果物ナイフなどが遺留されていた。
捜査は難航し、容疑者が特定されないまま、半年が過ぎた。1968年4月27日、斉藤(当時30歳)が神社の社殿の縁の下から盗品の大工道具を運びだそうとしているところを、張り込んでいた警察官が任意同行を求めた。斉藤が盗んだことを自白したため、福島県警平(たいら)署が緊急逮捕した。
いわき市内では、連続して侵入盗事件が起きていたが、斉藤は他の窃盗事件についても自白するようになり、5月7日になって本件での自白を始めた。同県警は同月8日、斉藤を強盗殺人罪で再逮捕し、本件捜査本部のある内郷(うちごう)署に引致して、本格的な取調べを行った。
斉藤は、福島地裁いわき支部で行われた裁判で、いったんは起訴事実を認めたが、第3回公判から否認を始め、第4回公判以降は明確に否認に転じた。以後は一貫して否認を通した。
本件では、事件と斉藤を直接結びつける客観証拠はまったくなかった。しかし、同地裁支部は1969年4月2日、捜査段階の自白は任意性があり、それを裏づける証拠は数多く存在する一方、自白と矛盾する証拠は存在しないと認定。斉藤がドライバーで窓ガラスを壊し、錠を外して事務所内に侵入し物色中、気づいて果物ナイフを手にして近づいてきた被害者と格闘のすえ、ドライバーと取り上げたナイフで背中・腕・首など十数か所を刺して殺害、現金2100円と宿直室にあった別の従業員のズボン1本を強取したとして、無期懲役とする判決を言い渡した。
弁護側は、犯行時に着ていたとされる斉藤のアノラック(防寒上着)から血液反応が出ていないなど、自白と証拠の矛盾点を主張し、自白には信用性がないと訴えたが、判決はアノラックは犯行後に洗濯したため血液反応が出なくても不思議ではないなどとして退けた。
仙台高裁は1970年4月16日、斉藤の控訴を棄却。最高裁も1971年4月19日、上告を棄却し、それに対する異議申立も退けて同年5月3日に有罪判決が確定した。
[江川紹子 2018年4月18日]
再審請求審
斉藤は宮城刑務所で服役し、1988年3月31日に仮出所。同年7月18日に福島地裁いわき支部に再審請求を行った。
弁護側は、被害者の傷のうち頸部(けいぶ)と背部の4か所は、凶器とされた果物ナイフによるものではないとする法医学者の鑑定書などの新証拠を提出。これに対し、検察側は異なる見解の法医学者の鑑定書を提出して争った。
同地裁支部は、1992年(平成4)3月23日に、再審開始を決定した。決定では、原審で有罪の根拠とされた証拠を見直し、(1)自白が客観的事実と符合する部分は、いずれも逮捕前に捜査機関が知っていたものばかりで、自白によって初めて明らかになる「秘密の暴露」にはあたらない、(2)自白には客観的事実と相いれない部分がある、(3)犯行の一部について自白にはかなりの変遷がある、などから、捜査段階の自白には信用性がないとした。さらに弁護側の法医学鑑定を受け入れ、被害者頸部には果物ナイフによってはできない傷があると認めた。そのうえで「新証拠とそれ以外の証拠を総合すると、唯一の直接証拠である自白には幾多の疑問があり、有罪認定に合理的疑いを入れる程度のものである」として再審開始を決めた。
有罪の根拠となった旧証拠の評価を積極的に見直した本決定は、「再審請求の審理でも『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則は適用される」とした1975年の最高裁「白鳥決定」の理念をより徹底させたものとして評価される一方、旧証拠の再評価や「疑わしきは被告人の利益に」の原則をどこまで考えるかについて議論をよんだ。
また、再審請求審は公開法廷での審理が義務づけられておらず、多くの事件では証拠調べも非公開で行われるが、本件では重要証人の尋問が公開の法廷で行われたことでも注目された。
検察側は即時抗告し、仙台高裁は1995年5月10日、再審開始決定を取り消した。この決定では、検察側の法医学鑑定をもとに、「本件果物ナイフが被害者の傷の成傷器となり得ないとまでは断定できない」として、弁護側の法医学鑑定を、再審開始に必要な「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認めなかった。さらに、地裁決定で自白が「秘密の暴露」にあたらないとされた点については、「原決定の独断にすぎないか、末梢(まっしょう)的事項に関するもの」と判断。地裁が客観的証拠との矛盾を指摘した点についても、「罪をいくらかでも軽くしたいという心理からの思いつきにより虚偽の弁解や偽装工作がなされることは往々にみられる」などとして、「自白の核心部分の信用性までも否定するのは相当でない」と問題視しなかった。
斉藤は特別抗告したが、最高裁第三小法廷は1999年3月9日、これを棄却した。結論のみを述べ、理由を詳述しない同決定書の本文は、わずか6行であった。
本件は、日本弁護士連合会(日弁連)が冤罪(えんざい)として再審の支援をしていた。最高裁の決定後も、斉藤は再審請求の意思があったが、それまで再審を支えてきた母親の高齢化や病気などの事情もあり、日弁連、弁護団、支援団体を含めて協議のうえ、再審請求の継続はきわめて困難な状況にあるとして、2000年(平成12)7月26日、新たな請求の断念を決めた。
[江川紹子 2018年4月18日]