日秀(読み)にっしゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日秀」の解説

日秀(3) にっしゅう

1503-1577 戦国-織豊時代の僧。
文亀(ぶんき)3年生まれ。高野山で修行し,補陀落(ふだらく)渡海により琉球漂着那覇(なは)に護国寺を建立し,真言宗をひろめる。のち薩摩(さつま)(鹿児島県)にうつり,坊ノ津に一乗院,国分(こくぶ)に正護寺,大隅(おおすみ)に三光院をひらいた。天正(てんしょう)5年9月24日死去。75歳。加賀(石川県)出身,一説上野(こうずけ)(群馬県)出身とも。字(あざな)は照海。

日秀(1) にっしゅう

1264-1334 鎌倉時代の僧。
文永元年生まれ。日蓮帰依(きえ)した父の勧めで弟子となる。日蓮の死後,身延山の日蓮廟所守護の輪番をつとめ,のち上総(かずさ)(千葉県)妙光寺(のちの藻原寺)で日向(にこう)の跡をつぐ。晩年,相模(さがみ)(神奈川県)に実相寺をひらいた。正慶(しょうきょう)3=元弘(げんこう)4年1月10日死去。71歳。上総出身。俗名は高橋出羽世。通称は丹波阿闍梨(あじゃり)。

日秀(4) にっしゅう

1495-1577 戦国-織豊時代の僧。
明応4年生まれ。真言宗。奈良で華厳(けごん)・三論・倶舎(くしゃ)などをまなぶ。弘治(こうじ)2年紀伊(きい)根来寺(ねごろじ)智積(ちしゃく)院(和歌山県)にはいり,翌年京都醍醐(だいご)寺の源雅(げんが)に報恩院流をうけた。天正(てんしょう)5年11月12日死去。83歳。字(あざな)は玄紹。

日秀(2) にっしゅう

1383-1450 室町時代の僧。
永徳3=弘和(こうわ)3年4月8日生まれ。日蓮宗。父は関白近衛道嗣(このえ-みちつぐ)。京都本国寺(のちの本圀寺)の日伝に師事し,応永16年近衛家の援助をえて広宣流布山本願満足寺(本満寺)をひらいたという。宝徳2年5月8日死去。68歳。字(あざな)は観随。号は玉洞妙院。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「日秀」の解説

日秀 (にっしゅう)

生年月日:1383年4月8日
室町時代の日蓮宗の僧
1450年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日秀の言及

【熱原法難】より

…1279年(弘安2)駿河国富士郡熱原の日蓮の門弟に加えられた弾圧。これより先,日蓮の弟子日興は駿河に教えを広め,熱原滝泉寺僧のなかに日秀・日弁ら弟子を創出,日秀らも熱原の農民を信奉者にしていった。在地有力者で念仏者でもあった滝泉寺院主代平行智はこれに反発,日秀らを抑圧するいっぽう,北条氏得宗の政所代と連絡して農民を挑発,傷害事件をおこさせ,1279年には日秀らが刈田狼藉をしたと訴えた。…

※「日秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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