室町前期の日蓮(にちれん)宗の僧。字(あざな)は深円。精進院、桂林房と号する。本迹(ほんじゃく)勝劣(『法華(ほけ)経』の後半の本門が勝(すぐ)れ、前半の迹門が劣るという説)の立場における熱烈な信仰者であり、学匠としては身延(みのぶ)の日朝と並んで東朝西隆(とうちょうせいりゅう)とたたえられた。越中(えっちゅう)国射水(いみず)郡浅井(あさい)郷(富山県射水市)桃井右馬頭尚儀(ももいうまのかみなおよし)の子として生まれ、10歳で仏門に入り、1402年(応永9)18歳で京都妙本(みょうほん)寺(妙顕(みょうけん)寺)日霽(にっせい)(1349―1405)に師事、日隆と号した。法華宗(本門流)、本門仏立(ぶつりゅう)宗、本門法華宗、八品(はっぽん)流系などの祖とされ、再興正導(しょうどう)門祖上人(しょうにん)と仰がれ、秋の御会式(おえしき)と春の門祖会(もんそえ)を厳修するところもある。日霽の寂後、その後嗣月明(げつみょう)らの化儀化法(教化の方法)の乱れをいさめたが聞き入れられず、同志とともに出寺し、各地に本応寺(ほんのうじ)(のち本能寺)を建て宗風を広めた。寛正(かんしょう)5年2月25日、80歳で寂。
[相葉 伸 2017年9月19日]
室町時代の法華宗の僧。本門法華宗,本門仏立宗,法華宗(本門流),そのほか八品(はつぽん)門流系の派祖。越中国射水郡の人。父は桃井尚儀。幼時郷里の遠成寺に入り,18歳のとき上洛して妙本寺(現,妙顕寺)の日霽(につさい)に師事,師の没後,後住月明の摂受(しようじゆ)的立場に反対して妙本寺を離れ,宗学の研鑽につとめ,1420年(応永27)尼崎本興寺,29年(永享1)京都本能寺を創建し,本迹勝劣の法要を掲げて一派を起こした。その後,強信と折伏(しやくぶく)で諸国を巡錫し,越中元成寺,敦賀本勝寺,色ヶ浜本隆寺,一乗谷正法寺,河内三井本厳寺,堺顕本(けんぽん)寺,淡路の妙勝寺と妙暁寺(現,妙京寺),兵庫久遠寺,牛窓本蓮寺,備中高松本隆寺,尾道妙宣寺,宇多津本妙寺などを創建あるいは中興し,本能寺教団の基礎を築くとともに,法華宗の教線を北陸・瀬戸内諸国に大きくのばした。またその碩学は当代の学匠身延日朝に比肩され,古来宗内で〈東朝西隆〉と称され,著述三百数十巻に及んだ。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(佐藤弘夫)
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