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妙顕寺 みょうけんじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

妙顕寺
みょうけんじ

京都市上京区にある寺。日蓮宗大本山の一つ。具足山竜華院。嘉暦1 (1326) 年日像開創。京都における日蓮宗最初の道場。建武1 (34) 年後醍醐天皇の勅命により,祈願所となり大いに栄えたが,しばしば比叡山の僧徒の圧迫を受け,移転数度,天正 11 (1583) 年豊臣秀吉の命によって現地に移建。

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デジタル大辞泉の解説

みょうけん‐じ〔メウケン‐〕【妙顕寺】

京都市上京区にある日蓮宗四大本山の一。山号は、具足山。元亨元年(1321)日像が創建。京都における日蓮宗最初の道場で、しばしば叡山に迫害された。

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百科事典マイペディアの解説

妙顕寺【みょうけんじ】

京都市上京区にある日蓮宗四大本山の一つ。1321年日像の開創。京都で最初の日蓮宗寺院。しばしば比叡山衆徒の焼打にあい,寺地は転々としたが,1583年豊臣秀吉により現地に建立された。

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世界大百科事典 第2版の解説

みょうけんじ【妙顕寺】

京都市上京区にある日蓮宗の大本山。具足山と号し,一般には顕山(けんざん),竜華(りゆうげ),四海唱導の寺と通称される。京都ではじめて日蓮宗を布教して洛陽開山と尊称された日像が,1321年(元亨1)開創。34年(建武1)後醍醐天皇の勅願寺,36年(延元1∥建武3)足利将軍家の祈禱所,37年光厳上皇の祈願所に指定され,41年(興国2∥暦応4)光厳上皇から四条櫛笥(くしげ)に1町の寺地を賜って移転するなど,建武新政から南北朝内乱に至る政局の激動期に巧みに対処し,公武の間にしだいに寺基を安定させた。

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大辞林 第三版の解説

みょうけんじ【妙顕寺】

京都市上京区にある日蓮宗の寺。日蓮宗四大本山の一。山号、具足山。1321年日像の開基。京都における日蓮宗最初の寺。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

妙顕寺
みょうけんじ

京都市上京(かみぎょう)区妙顕寺前町にある日蓮(にちれん)宗の大本山。具足山(ぐそくざん)と号し、またの名を竜華(りゅうげ)という。本尊は日蓮奠定(てんてい)の木像の曼荼羅(まんだら)本尊。1321年(元亨1)日像(にちぞう)が後醍醐(ごだいご)天皇より今小路(いまこうじ)に寺地を賜り創建した。1334年(建武1)には、後醍醐天皇の綸旨(りんじ)を受け、日蓮宗最初の勅願寺となった。1341年(興国2・暦応4)光厳(こうごん)院院宣により四条櫛笥西頬(しじょうくしげにしつら)(現中京(なかぎょう)区)に移転。それ以後、当寺を四条門流という。室町時代には公武政権と密接なつながりをもつが、天文法華の乱(1536)で延暦(えんりゃく)寺衆徒(しゅと)の襲撃を受け、また織田・豊臣(とよとみ)氏の弾圧にあう。現在の建物は江戸時代に再建された。寺宝には後小松(ごこまつ)天皇宸筆(しんぴつ)御消息(2幅)、日蓮筆の強仁状御返事、神国王書(2巻)、金字法華(ほけ)経巻5(いずれも国重要文化財)がある。そのほか、日蓮自筆の玄旨伝法本尊、12巻の御書などを有する。寺域に尾形光琳(こうりん)・乾山(けんざん)兄弟の墓がある。[田村晃祐]

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世界大百科事典内の妙顕寺の言及

【日像】より

…肥後阿闍梨(あじやり),肥後房ともいう。日蓮宗を最初に京都にひろめ,京都妙顕寺開山。下総国平賀(千葉県)の豪族平賀忠晴の子。…

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