日本歴史地名大系 「明神池」の解説
明神池
みようじんいけ
「地下上申」およびその添付絵図に「御池」と記され、「八江萩名所図画」は「御茶邸の池」とするが、土地の人は「御茶屋の池」と称した。池の東畔に藩主の休息用の御茶屋が設けられていたためである。大正末年頃から池畔の
文久三年(一八六三)八月一八日の政変によって長州に下った三条実美は、同年一一月藩主毛利敬親に誘われて
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報