星 一
ホシ ハジメ
- 肩書
- 参院議員(国民民主党),衆院議員(政友会),星製薬創業者
- 生年月日
- 明治6年12月25日
- 出身地
- 福島県いわき市
- 学歴
- 東京高商(現・一橋大学)卒 コロンビア大学(米国)政治経済科〔明治34年〕卒
- 経歴
- 明治27年に渡米、7年間の留学中に英字新聞「ジャパン・アンド・アメリカ」を発刊。34年に400円を携えて帰国、製薬事業に乗り出し、43年星製薬を設立、のち星薬学専門学校(星薬科大学)を建学した。星製薬を“クスリハホシ”のキャッチフレーズで代表的な製薬会社に仕立て上げ、後に“日本の製薬王”といわれた。一方、41年衆院議員(政友会)に初当選。後藤新平の政治資金の提供者になるなど関係を深め、その世話で台湾産阿片の払い下げを独占した。そのため、大正13年に後藤が失脚したあと、召喚・逮捕(のち無罪)などが続き、昭和6年には破産宣告をする。12年以後衆院議員に連続3回当選。戦後、22年4月第1回参院選で全国区から出馬、48万余票を得票してトップ当選。当時、「名前が覚えやすいから」と陰口をたたかれ、4年後米国で客死する。
- 没年月日
- 昭和26年1月19日
- 家族
- 長男=星 新一(SF作家)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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星 一
ホシ ハジメ
明治〜昭和期の実業家,政治家 星製薬創業者;参院議員(国民民主党);衆院議員(政友会)。
- 生年
- 明治6年12月25日(1873年)
- 没年
- 昭和26(1951)年1月19日
- 出身地
- 福島県いわき市
- 学歴〔年〕
- 東京高商(現・一橋大学)卒,コロンビア大学(米国)政治経済科〔明治34年〕卒
- 経歴
- 明治27年に渡米、7年間の留学中に英字新聞「ジャパン・アンド・アメリカ」を発刊。34年に400円を携えて帰国、製薬事業に乗り出し、43年星製薬を設立、のち星薬学専門学校(星薬科大学)を建学した。星製薬を“クスリハホシ”のキャッチフレーズで代表的な製薬会社に仕立て上げ、後に“日本の製薬王”といわれた。一方、41年衆院議員(政友会)に初当選。後藤新平の政治資金の提供者になるなど関係を深め、その世話で台湾産阿片の払い下げを独占した。そのため、大正13年に後藤が失脚したあと、召喚・逮捕(のち無罪)などが続き、昭和6年には破産宣告をする。12年以後衆院議員に連続3回当選。戦後、22年4月第1回参院選で全国区から出馬、48万余票を得票してトップ当選。当時、「名前が覚えやすいから」と陰口をたたかれ、4年後米国で客死する。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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星一
ほしはじめ
(1873―1951)
星製薬、星薬科大学の創立者。福島県の富農の長男に生まれる。東京商業学校(夜学)を卒業後に渡米、苦学のすえコロンビア大学を卒業、新聞事業を営み失敗して帰国。1908年(明治41)星製薬を設立、モルヒネなどの国産化を成功させた。しかし、原料のアヘン輸入をめぐり内務省と対立して反感を買い、種々の圧迫を受けて苦しんだ。作家星新一の父。
[四宮俊之]
『星新一著『人民は弱し官吏は強し』(角川文庫)』▽『星新一著『明治・父・アメリカ』(新潮文庫)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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星一 ほし-はじめ
1873-1951 明治-昭和時代の実業家,政治家。
明治6年12月25日生まれ。星新一の父。明治44年星製薬を創立,モルヒネの国産化に成功し,日本の製薬王といわれた。41年衆議院議員(当選4回,民主党)。昭和22年国民民主党から参議院議員。また星製薬商業(現星薬大)を設立。昭和26年1月19日死去。77歳。福島県出身。高等商業(現一橋大)卒,コロンビア大卒。
【格言など】人民は弱し 官吏は強し
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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星 一 (ほし はじめ)
生年月日:1873年12月25日
明治時代-昭和時代の実業家;政治家。星製薬創業者;衆議院議員(政友会)
1951年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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