春山作樹(読み)ハルヤマ サクキ

20世紀日本人名事典 「春山作樹」の解説

春山 作樹
ハルヤマ サクキ

明治〜昭和期の教育学者 東京帝国大学教授



生年
明治9年8月13日(1876年)

没年
昭和10(1935)年12月29日

出生地
大阪府大阪市上町

学歴〔年〕
東京帝大文科大学哲学科〔明治33年〕卒,東京帝大大学院教育学専攻修了

学位〔年〕
文学博士〔大正9年〕

経歴
国学者の姫路藩士春山弟彦次男。明治37年広島高師教授を経て、大正元年〜4年文部省研究生として欧米留学。8年東京帝大文学部教授に就任日本教育史を教化史の立場から開拓、特に教化における家庭の役割を重視した。社会教育、職業教育、男女共学など教育改革の諸問題についてもユニークな教育論を展開。また言動のユニークさも有名で、赤門名物教授の一人にあげられていた。吉野作造らとも親交があり、大正デモクラットでもあった。著書に「芸術教育論」「教育学講義」「日本教育史論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「春山作樹」の意味・わかりやすい解説

春山作樹
はるやまさくき

[生]1875. 大阪
[没]1935.12.29. 東京
教育学者。 1900年東京大学卒業,同大学院で教育学を専攻。 04年広島高等師範教授。 11~15年ドイツ,イギリス,アメリカに留学。 19年東京大学教授。 20年文学博士。日本教育史研究を専門とし,教育は民族文化継承の社会的活動であるという立場に立ち,学校教育だけでなく家庭教育,社会教育をも重視した。特に,社会の成熟に伴って順次僧侶貴族武士,町人階級を主役とする教育の型が生起したとする,類型史的な日本教育史観は,その後の教育史研究に大きな影響を与えた。主著『教育学概論』 (1924) ,『王朝教育史資料』 (30) ,『江戸時代の教育』 (32) ,『教育学講義』 (34) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「春山作樹」の意味・わかりやすい解説

春山作樹
はるやまさくき
(1876―1935)

教育学者。大阪生まれ。1900年(明治33)東京帝国大学哲学科卒業。広島高等師範学校教授を経て、1919年(大正8)東京帝国大学教授。教育を社会の同化作用とする幅広い見地から、日本教育史の研究に努め、その類型史的方法は後学に大きな影響を与えた。昭和10年12月29日没。主著に『王朝教育史資料』(1930)、『教育学講義』(1934)がある。

[三原芳一]

『春山作樹教育論集刊行委員会編『日本教育史論』(1979・国土社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春山作樹」の解説

春山作樹 はるやま-さくき

1876-1935 明治-昭和時代前期の教育学者。
明治9年8月13日生まれ。春山弟彦の次男。明治37年広島高師教授となり,欧米留学をへて,大正8年母校東京帝大の教授。社会教化の見地から日本教育史を研究した。昭和10年12月29日死去。60歳。大阪出身。著作に「教育学講義」など。

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367日誕生日大事典 「春山作樹」の解説

春山 作樹 (はるやま さくき)

生年月日:1876年8月13日
明治時代-昭和時代の教育学者。東京帝国大学教授;文学博士
1935年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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