昭和電工[株](読み)しょうわでんこう

百科事典マイペディアの解説

昭和電工[株]【しょうわでんこう】

1939年日本電工と昭和肥料が合併,森コンツェルンの中心企業として設立。旧芙容系の総合化学会社。第2次大戦後肥料重点から石油化学に重点を移した。エチレン,ポリエチレン,化学品,炭素などを生産。ファインケミカル,新素材,電子材料分野にも力を注いでいる。近年は,ハードディスクが好調を持続し,電子・情報部門が稼ぎ頭。本社東京,事業所大分,川崎,塩尻,秩父ほか。2011年資本金1405億円,2011年12月期売上高8541億円。売上構成(%)は,石油化学29,化学品14,エレクトロニクス19,無線8,アルミニウム14,その他16。海外売上比率35%。→化学工業
→関連項目新潟水俣病三木睦子水俣病森矗昶

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうわでんこう【昭和電工[株]】

総合化学会社の大手。1908年森矗昶(のぶてる)が総房水産()を創立し,同社は19年東信電気に合併され,28年,東信電気(株)と東京電灯の共同出資により昭和肥料(株)が設立され,硫安石灰窒素の生産を始めた。一方,1926年日本沃度(株)が森矗昶によって設立された。同社は総房水産(株)の館山工場,興津工場でヨードなどの生産を行っていたが,その後アルミニウムの初の国産化やフェロアロイ電極などの製造に進出し,34年日本電気工業(株)と改称した。

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世界大百科事典内の昭和電工[株]の言及

【阿賀野川有機水銀中毒事件】より

…1965年6月,新潟大学椿忠雄が新潟県下の阿賀野川下流流域に居住する漁民に水俣病患者が集団的に発生していると公表した。原因は,河口から六十数km上流にある昭和電工鹿瀬(かのせ)工場のアセトアルデヒド製造工程から流された排水中のメチル水銀化合物によるものであったが,昭和電工は,新潟地震の際,新潟港埠頭(ふとう)倉庫に保管されていた水銀農薬が津波に流され,信濃川から日本海に出,塩水くさびによって阿賀野川下流を汚染したとして抗争したため,67年6月,患者が昭和電工を被告とする日本初の本格的公害裁判を提起した。71年9月,新潟地方裁判所は,原告患者全面勝訴の判決をだし,この裁判は確定した。…

【昭電疑獄】より

…1948年に政治問題となった,復興金融金庫から昭和電工株式会社への融資にからむ贈収賄事件。昭和電工は森コンツェルンの重要な総合的化学工業会社であったが,戦災のため中心の川崎工場が壊滅的な打撃を受けた。…

【森コンツェルン】より

…満州事変期以降,金輸出再禁止,為替下落に伴う輸入障壁の形成と軍需景気に助けられて,彼の事業は躍進し,37年には,日本電気工業(日本電工,1934年日本沃度が社名変更)のアルミニウム,昭和肥料の硫安,昭和鉱業(1934設立)の非鉄金属採掘を中心に直系会社5社,直系の日本電工・昭和鉱業の子会社13社,関係会社10社を傘下に有する一大コンツェルンとなり,これらの公称資本金合計は3億8695万円に及んだ。日中戦争期に入るや,39年に日本電工と昭和肥料が合併して昭和電工となり,同社がこのコンツェルンの中核となった(森が社長に就任)。他方,40年に昭和鉱業が帝国鉱業開発に売却されたため,第2次大戦終戦時の森コンツェルンの構成は,アルミニウム・肥料製造を中心とする昭和電工と,軽合金・特殊鋼分野への進出に伴って42年に日本火工が改称した日本冶金工業を二大支柱としていた。…

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