時実 利彦
トキザネ トシヒコ
昭和期の大脳生理学者 東京大学名誉教授;京都大学霊長類研究所教授。
- 生年
- 明治42(1909)年9月4日
- 没年
- 昭和48(1973)年8月3日
- 出生地
- 岡山県和気郡備前町
- 学歴〔年〕
- 東京帝大医学部〔昭和9年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 毎日出版文化賞〔昭和37年〕「脳の話」,放送文化賞〔昭和37年〕「脳の話」
- 経歴
- 昭和13〜17年中国に出征。東大卒業後、橋田教授の門下で生理学を専攻し、26年に日本で初の筋電計を設計、試作、のちに日本筋電図学会を創設した。29年東京大学助教授となり、米国に留学、実験脳生理学の手法を日本に紹介し、大脳生理学の世界的権威となる。31年教授、39年東大脳研究所長。42年京大霊長類研究所教授を兼任、45年東京大学を定年退官。43年の心臓移植問題の後に設置された日本脳波学会脳波と脳死に関する委員会の委員長を務め、脳死判定の厳密な基準をまとめ上げる。著書に「脳の話」「脳のすべて」「人間のからくり」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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時実利彦 (ときざねとしひこ)
生没年:1909-73(明治42-昭和48)
脳生理学者。岡山県和気郡に生まれる。1934年東京帝国大学医学部卒業後,生理学教室に入り,橋田邦彦の指導のもとに日本語母音の解析を始めた。その後,筋肉運動の研究に入り,51年筋電計の国産第1号を試作。54年アメリカに留学し,実験生理学の手法を導入し,第2次大戦後の日本の脳生理学興隆に中心的役割を演じた。この間,東大付属医学専門部教授として1945年から50年まで生理学を教え,以後,医学部講師・助教授を経て56年東大付属脳研究施設教授に就任し,62年同所長となる。67年京大霊長類研究所教授兼任。68年和田寿郎による心臓移植手術を契機に,日本脳波学会〈脳波と脳死に関する委員会〉の委員長として70年脳死判定の厳密な基準をまとめた。また筋電図学会の創立者でもある。著書は《脳の話》《脳と人間》などのほか数多く,出版文化賞や放送文化賞などを受賞している。
執筆者:松田 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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時実利彦【ときざねとしひこ】
脳生理学者。岡山県出身。1934年東京帝国大学医学部卒。橋田邦彦の生理学教室で日本語母音の解析,1951年には筋電計の国産1号を試作,筋電図学会設立。1954年アメリカに留学し,実験生理学の手法を日本に導入。1956年東大付属脳研究施設教授,1962年所長に就任,1967年京大霊長類研究所教授兼任。日本脳波学会を設立するなど,第2次世界大戦後の脳生理学発展に多大なる貢献をした。1970年には日本脳波学会〈脳波と脳死に関する委員会〉委員長として脳死判定の厳密な基準をまとめた。著書は《脳の話》など多数。→脳死判定基準
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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時実利彦 ときざね-としひこ
1909-1973 昭和時代の脳生理学者。
明治42年9月4日生まれ。昭和31年東大教授。のち東大脳研究施設長,京大霊長類研究所教授を兼任。筋電図学会,日本脳波学会を設立,脳生理学の発展と啓蒙につとめる。45年脳波学会としての脳死判定基準をまとめた。昭和48年8月3日死去。63歳。岡山県出身。東京帝大卒。著作に「脳の話」「脳と人間」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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時実 利彦 (ときざね としひこ)
生年月日:1909年9月4日
昭和時代の大脳生理学者。東京大学教授;京都霊長類研究所教授
1973年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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