中国の軍閥直隷(ちょくれい)派の首脳。天津(てんしん)の生まれ。天津北洋武備学堂卒業。日清(にっしん)戦争に参加、以後、袁世凱(えんせいがい)の部将として活躍し、その後の地歩を築いた。1916年袁の死後直隷督軍兼省長となり、馮国璋(ふうこくしょう)の死(1919)後、直隷派の首領となる。1920年、日本に支持された段祺瑞(だんきずい)の安徽(あんき)派と、イギリス・アメリカの支持する曹・呉佩孚(ごはいふ)の直隷派との直皖(ちょくかん)(安直)戦争、さらに1922年の第一次奉直戦争に勝利して、北京(ペキン)政府の政治権力を手中にし、直隷派の黄金時代を築いた。そして曹は、大総統への野望から、アメリカの支持を得て、国会議員に対する買収と強迫によって、1923年大総統の地位につき、憲法を公布した。民衆はこれを「賄選(わいせん)総統」「賄選憲法」と評し、直隷派の暗黒支配に対する反軍閥闘争を展開した。1924年列強の利害も絡んだ大規模な内戦であった第二次奉直戦争で、馮玉祥(ふうぎょくしょう)のクーデターによって失脚、まもなく天津に閑居し、そこで没した。
[南里知樹]
中国の軍人。天津の人,字は仲珊。淮軍の兵士から天津武備学堂を経てしだいに頭角を現した。馮国璋(ふうこくしよう)死後,直隷派の総帥となり,1923年には中華民国大総統となった。国会議員を1票5000円で買収したいわゆる〈賄選〉である。曹の名は賄選と不可分のものとなり,彼が公布した解放前唯一の憲法も〈賄選憲法〉と呼ばれている。翌年,第2次奉直戦争に敗れて中南海に軟禁されたが,26年,張作霖に釈放され,のち天津で病没した。
執筆者:狭間 直樹
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1862~1938
中国の軍閥,直隷派の巨頭。河北省天津の人。北洋武備学堂卒業。1923年アメリカの支持で国会議員に対し露骨な買収と強迫を行い,中華民国大総統に当選,憲法を公布した。翌年失脚。
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