曹錕(読み)ソウコン

デジタル大辞泉 「曹錕」の意味・読み・例文・類語

そう‐こん〔サウ‐〕【曹錕】

[1862~1938]中国政治家天津の人。袁世凱えんせいがいとともに近代軍の創設尽力直隷ちょくれい巨頭で、袁の死後、1923年に大総統に就任したが、馮玉祥ふうぎょくしょうクーデターにより失脚。ツァオ=クン

ツァオ‐クン【曹錕】

そうこん(曹錕)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「曹錕」の意味・わかりやすい解説

曹錕
そうこん / ツァオクン
(1862―1938)

中国の軍閥直隷(ちょくれい)派の首脳。天津(てんしん)の生まれ。天津北洋武備学堂卒業。日清(にっしん)戦争に参加、以後、袁世凱(えんせいがい)の部将として活躍し、その後の地歩を築いた。1916年袁の死後直隷督軍兼省長となり、馮国璋(ふうこくしょう)の死(1919)後、直隷派首領となる。1920年、日本に支持された段祺瑞(だんきずい)の安徽(あんき)派と、イギリス・アメリカの支持する曹・呉佩孚(ごはいふ)の直隷派との直皖(ちょくかん)(安直)戦争、さらに1922年の第一次奉直戦争に勝利して、北京(ペキン)政府の政治権力を手中にし、直隷派の黄金時代を築いた。そして曹は、大総統への野望から、アメリカの支持を得て、国会議員に対する買収と強迫によって、1923年大総統の地位につき、憲法を公布した。民衆はこれを「賄選(わいせん)総統」「賄選憲法」と評し、直隷派の暗黒支配に対する反軍閥闘争を展開した。1924年列強の利害も絡んだ大規模な内戦であった第二次奉直戦争で、馮玉祥(ふうぎょくしょう)のクーデターによって失脚、まもなく天津に閑居し、そこで没した。

[南里知樹]

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改訂新版 世界大百科事典 「曹錕」の意味・わかりやすい解説

曹錕 (そうこん)
Cáo Kūn
生没年:1862-1938

中国の軍人。天津の人,字は仲珊。淮軍の兵士から天津武備学堂を経てしだいに頭角を現した。馮国璋(ふうこくしよう)死後,直隷派の総帥となり,1923年には中華民国大総統となった。国会議員を1票5000円で買収したいわゆる〈賄選〉である。曹の名は賄選と不可分のものとなり,彼が公布した解放前唯一の憲法も〈賄選憲法〉と呼ばれている。翌年,第2次奉直戦争に敗れて中南海に軟禁されたが,26年,張作霖に釈放され,のち天津で病没した。
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旺文社世界史事典 三訂版 「曹錕」の解説

曹 錕
そうこん

1862〜1938
中華民国の政治家で,直隷 (ちよくれい) 派軍閥の指導者
天津の生まれ。袁世凱 (えんせいがい) の北洋新軍にはいり,袁の死後,直隷督軍兼省長となった。安徽 (あんき) 派・奉天派を追放して1923年大総統となり,直隷派の全盛期を迎えたが,実権は部下の呉佩孚 (ごはいふ) に移った。1924年の第2次奉直戦争の敗北後,馮玉祥 (ふうぎよくしよう) によって大総統府に幽閉された。1926年に釈放されたが,天津に引退。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「曹錕」の解説

曹錕(そうこん)
Cao Kun

1862~1938

中国の軍閥直隷派の巨頭。河北省天津の人。北洋武備学堂卒業。1923年アメリカの支持で国会議員に対し露骨な買収と強迫を行い,中華民国大総統に当選,憲法を公布した。翌年失脚。

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