最首悟(読み)さいしゅさとる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「最首悟」の意味・わかりやすい解説

最首悟
さいしゅさとる
(1936―2026)

1960年代の学生運動活動家、社会運動家。福島県に生まれ、千葉県で育つ。1959年(昭和34)東京大学理科1類入学。1967年同大学院動物学科博士課程中退。同年同大学教養学部生物学科助手、以後27年間助手を務め、1994年(平成6)退職。東大入学とともに、60年安保闘争の大きな渦に入る。60年安保闘争国会構内抗議集会にクラス単位で参加、同年三池(みいけ)争議にも参加。共産主義者同盟(ブント)、社会主義学生同盟(社学同)崩壊後の「セクトNo.6(ナンバーシックス)」(反権力・反秩序・反前衛組織論に基づく意識的大衆の自立集団)にかかわる。1962年、茅野寛志(かやのひろし)(1935―1960)の遺稿集『残さるべき死』(1962)の編集発行に携わる。茅野は、最首らとともに東大における学生運動を担い、三池闘争から帰京直後に病死した活動家であった。

 1962年大学管理法反対闘争に参加、学生の自治と大学の自治を切り離す国立大学協議会の姿勢に抗議する「大管法粉砕全国統一行動、全都学生総決起集会」(東大銀杏(いちょう)並木6000人集会)の実現に取り組んだ。この集会は、60年安保闘争以後最大の学生集会となり、翌年の新左翼三派連合(革共同中核派、社青同解放派、共産同)を形成する契機となった。1963年、当時の東大総長茅誠司(かやせいじ)「カンヅメ行動」(銀杏並木集会の責任者処分撤回要求徹夜団交)により停学処分を受ける。1965年東大の理系学生を中心にした「ベトナム反戦会議」結成に参加、この反戦会議はその後の東大全共闘の中核となる。1968年東大助手共闘会議結成に参加。翌1969年東大本郷安田講堂における対機動隊攻防戦と呼応して、駒場教養学部第8本館に学生75人と籠城(ろうじょう)、逮捕される。この間「大学解体」「自己否定」「自主講座」「造反有理」「連帯を求めて孤立を恐れず!」などをスローガンに掲げる全共闘運動の先頭にたち、メディア向けスポークスマン役も務める。「たとえ砦(とりで)の狂人と言われようと」(『朝日ジャーナル』1969年1月19日号)を発表するなど、「ノンセクト・ラディカル」(無党派の新左翼系学生)のイデオローグの一人として、学生の心情をくみ上げ、思想状況にも影響を与えた。

 全共闘運動の解体後は、東大教養学部で造反教官・学生とともに、連続シンポジウム「闘争と学問」を1970年から4年間続け、三里塚(さんりづか)、公害、障害者問題における「学問との関係」「大学の役割」を問い続ける。1976年重度複合障害をもつ三女が生まれたのを機に、「不知火(しらぬい)海総合学術調査団」に参加、水俣(みなまた)病被害のなかの漁民の暮らしと差別に焦点をあてるなど、単なる公害反対運動としてではなく、市民社会における企業のあり方、漁民と「水俣の貴族」ともいわれたチッソ社員との階級的対立などの問題を提起する。その後「障害児を普通学校へ全国連絡会」に参加、障害者が「それぞれ活き活きと生きる」(障害者として生き抜く)運動を始める。1997年より横浜市障害者作業所「カプカプ」運営委員長を務める。

 1994年の東大助手退職の際の「最終講義」では、助手共闘時代からのテーマであった、「学問」を逆さまにした「問学」(学の意味を問う)を提起。自己否定とその延長線上において自己の立場を問い続けることを人間の「意味ある営み」として措定、その趣旨のもと「最首塾」を発足させ、「問学」を語り、考え、深めた。テーマは「立場性の流動(変化)による『漂私』(さまよう己)、『漂私』場(己の位置)における自己決定の態様」である。著書には『生あるものは皆この海に染まり』(1984)、『明日もまた今日のごとく』(1988)、『半生(はんせい)の思想』『水俣の海底から』(以上1991)、『星子(せいこ)が居る』(1998)などがある。編著書には『山本義隆(よしたか)潜行記』(1969)、『出月私記』(1989)、『我は雨をいとわず段草を切る』(1997)、共著には『焼いたサカナも泳ぎだす』(1992)、『理科を変える学校が変える』(2001)などがある。

[蔵田計成]

『『生あるものは皆この海に染まり』(1984・新曜社)』『『明日もまた今日のごとく』(1988・どうぶつ社)』『『半生の思想』(1991・河合文化教育研究所)』『『水俣の海底から――「終われない水俣展」講演録』(1991・京都・水俣病を告発する会)』『『星子が居る』(1998・世織書房)』『最首悟編『山本義隆潜行記』(1969・講談社)』『最首悟編『出月私記――浜元二徳語り』(1989・新曜社)』『映画『阿賀に生きる』スタッフ著、村井勇編『焼いたサカナも泳ぎだす』(1992・記録社)』『最首悟・山之内萩子編、森千代喜著『我は雨をいとわず段草を切る――水俣病を生きた不知火海一漁師の日記』(1997・世織書房)』『最首悟・盛口襄・山口幸夫編『理科を変える学校が変える』(2001・七つ森書館)』

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