新撰 芸能人物事典 明治~平成 「朝吹英一」の解説
朝吹 英一
アサブキ エイイチ
- 職業
- 木琴奏者 作曲家
- 専門
- マリンバ,ヴィブラフォン
- 肩書
- 日本木琴協会会長,千代田組会長
- グループ名
- グループ名=スウィング・サーフライダーズ
- 生年月日
- 明治42年 12月22日
- 出生地
- 東京市 京橋区築地明石町(東京都中央区)
- 学歴
- 慶応義塾大学経済学部〔昭和8年〕卒
- 経歴
- 実業家・朝吹常吉の二男。祖父が福沢諭吉の高弟だったことから、幼稚舎より慶応義塾に通う。小学3年頃、母によりピアノを習わされ松島彝に師事したが、厳しい指導に嫌気がさし長続きしなかった。普通部2年の時に米国の木琴奏者ウィリアム・ライツが演奏した「ウィリアム・テル幻想曲」を聴いて木琴に魅せられ、早速ザイロフォンを購入して自己流で練習を重ねた。やがて我流ではなく正式な指導を受けようと、陸軍近衛師団軍楽隊の打楽器奏者・星出義男についたが、すでに星出よりも技量的に上であり、外国版の木琴楽譜を借りたり貰ったりして交友を持った。慶応義塾大学在学中の昭和2年、17歳で星出の推薦により中央放送局で木琴を初放送。間もなく父から本格的な外国製グランド・ザイロフォンを贈られ(藤原義江が帰国の際に運んできた)、以降もたびたび放送に出演。5年〜6年米国に旅行。8年三井信託に入社し、12年会社の同僚の頼みでスティール・ギターの演奏家として灰田有紀彦を紹介したところ、同僚にレッスンに付き合うように頼まれ、それを機会にハワイアンにも没頭。雪村いづみの父である朝比奈愛三らと、サタデー・ハワイアンズ、カルア・カマアイナスといったバンドを組み、7回の単独リサイタルを行ったが、太平洋戦争の勃発もあり18年に解散した。この間、12年米国からヴィブラフォンを輸入し、13年1月日本初の放送独奏を披露。この楽器はカルア・カマアイナスでも用い、日本でハワイアンにヴィブラフォンを導入した先駆ともなった。16年父が創業した千代田組に入社、戦時中は徴兵検査で丙種だったため、兵役につかないまま終戦を迎えた。戦後は進駐軍のディナーショーなどでの演奏の他、浜口庫之助、犬丸一郎(のち帝国ホテル社長)、益田貞信、平岡精二らとのスウィング・サーフライダーズでも活動。26年からは木琴独奏による塩野義製薬提供のラジオ番組「ペンギン・タイム」に出演、32年まで約5年間にわたって、年中無休、毎日15分の帯番組の演奏を続け、レパートリーを増やすとともに、木琴を広く周知させる上で大きな役割を担った。父の死により、33年千代田組に常任監査役として復帰すると、第一線の演奏活動から遠ざかった。39年同社会長。我が国における木琴演奏・普及に貢献した第一人者であり、25年東京木琴クラブ(32年日本木琴協会に改組)を創設し会長に就任。門下には中村良子、福来実、田村文治、安倍圭子、大栗崇子、浜館章子、岩城宏之、小宅勇輔らがいる。また星出に借りた楽譜を写すうちに作・編曲の技法を体得し、4年処女作「軽井沢の美人」を作曲。これを機にハインリッヒ・ヴェルクマイスターに作曲を師事した。以降、木琴のオリジナル曲が少ないことから自身で作曲を手がけ、「ペンギン・タイム」のエンディングテーマである「ペンギン・ポルカ」や、「きつつきポルカ」「ミッキーマウス・ギャロップ」「火華」「水玉」「雪への幻想」「二台の木琴のための序曲と華麗なギャロップ」「六甲の秋草」「ウエーバーの主題による五つの変奏」などの曲を書いた。弟の三吉は仏文学者、四郎は建築家、妹の登水子も作家としてそれぞれ名をなしたが、きょうだい揃ってチェロ、ピアノ、バイオリンなどを演奏でき、内輪では“高輪バンド”、正式に“朝吹オーケストラ”と称して合奏を行った。
- 所属団体
- 日本木琴協会
- 受賞
- 勲四等瑞宝章〔昭和55年〕
- 没年月日
- 平成5年 6月14日 (1993年)
- 家族
- 父=朝吹 常吉(実業家),母=朝吹 磯子(歌人),弟=朝吹 三吉(仏文学者),朝吹 四郎(建築家),妹=朝吹 登水子(翻訳家),祖父=朝吹 英二(実業家),長岡 外史(陸軍中将)
- 親族
- 岳父=尾崎 洵盛(陶磁器研究家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報