日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤忠良」の意味・わかりやすい解説
佐藤忠良
さとうちゅうりょう
(1912―2011)
彫刻家。宮城県に生まれ、幼少時を北海道に送ったのち上京。東京美術学校彫刻科在学中の1937年(昭和12)から国展に出品、翌年受賞した。1939年同校卒業後、新制作派協会創立のとき彫刻部に参加して会員となった。1944年兵役に服し、シベリア抑留を経て1948年(昭和23)帰国。新制作、現代日本美術展、日本国際美術展などで主要な具象彫刻家として活躍、1960年高村光太郎賞、1974年毎日芸術賞と芸術選奨文部大臣賞などの受賞を重ねた。1966年から東京造形大学教授も務め、1986年名誉教授となる。1981年フランス国立ロダン美術館で大規模な個展を開催、アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙された。1990年(平成2)宮城県仙台市青葉区にある宮城県美術館本館に隣接して佐藤忠良記念館が開館。1995年には宮城県黒川郡大和町(たいわちょう)ふれあい文化創造センター(まほろばホール)内に佐藤忠良ギャラリーが開設された。1998年には滋賀県守山市にある佐川美術館内に常設展示室「ブロンズの詩」がオープンした。
[三木多聞]
『『彫刻=佐藤忠良 1949―1971』(1971・現代彫刻センター)』▽『『佐藤忠良作品集』(1973・現代彫刻センター)』▽『『アトリエの中から 佐藤忠良自選素描集』(1980・現代美術社)』▽『『旅の走り描き 佐藤忠良自選素描集』(1980・現代美術社)』▽『『少年の美術』(1980・現代美術社)』▽『『佐藤忠良ドライポイント――10人の女たち』(1980・ギャラリー上田)』▽『『佐藤忠良素描集』(1982・現代美術社)』▽『『佐藤忠良のクロッキー入門』(1983・求竜堂)』▽『『子どもたちが危ない 彫刻家の教育論』(1985・岩波書店)』▽『佐藤忠良・安野光雅編『子どもの美術』上下(1986・現代美術社)』▽『匠秀夫・酒井忠康編『現代彫刻集1 佐藤忠良』(1987・札幌芸術の森)』▽『『つぶれた帽子』(1988・日本経済新聞社)』▽『『佐藤忠良』(1989・講談社)』▽『河北新報社開発局出版部編『佐藤忠良作品集』(1990・河北新報社)』▽『『大きな帽子 佐藤忠良作品集』新訂版(1991・現代美術社)』▽『佐藤忠良・中村雄二郎・神吉敬三他著『遠近法の精神史――人間の眼は空間をどうとらえてきたか』(1992・平凡社)』▽『『触ることから始めよう』(1997・講談社)』▽『宮城県美術館編・刊『佐藤忠良彫刻家の眼 近年の作品を中心に』(1998)』▽『『忠良せんせい古里に触れる――木に触る葉っぱに触る古里に触る 彫刻家・佐藤忠良氏による“語り下し”インタビュー』(2001・インテリジェントコスモス研究機構)』▽『佐藤忠良・安野光雅著『ねがいは「普通」』(2002・文化出版局)』