朽木昌綱(読み)クツキマサツナ

デジタル大辞泉 「朽木昌綱」の意味・読み・例文・類語

くつき‐まさつな【朽木昌綱】

[1750~1802]江戸中期の大名丹波福知山藩主蘭学茶道を学び、古銭研究家として知られる。著「新撰銭譜」「西洋銭譜」など。

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精選版 日本国語大辞典 「朽木昌綱」の意味・読み・例文・類語

くつき‐まさつな【朽木昌綱】

  1. 江戸中期の古銭研究家。蘭学者。丹波福知山藩主。号は龍橋。隠岐守。古銭を愛好し、収集・研究して「新撰銭譜」「西洋銭譜」を刊行。また、世界地理にくわしく、「泰西輿地(たいせいよち)図説」を著わす。寛延三~享和二年(一七五〇‐一八〇二

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百科事典マイペディア 「朽木昌綱」の意味・わかりやすい解説

朽木昌綱【くつきまさつな】

江戸中期の丹波(たんば)福知山藩主。号は竜橋(りゅうきょう)。前野良沢蘭学を学び,杉田玄白大槻玄沢桂川甫周,オランダ商館長ティチングらと交友,いわゆる蘭癖(らんぺき)大名の一人。当時最も権威ある世界地理書《泰西輿地図説(たいせいよちずせつ)》を編述。古銭収集でも知られ,《新撰銭譜》《古今泉貨鑑》の著もある。茶を松平治郷(不昧(ふまい))に学び福知山に不昧流を伝えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朽木昌綱」の意味・わかりやすい解説

朽木昌綱
くつきまさつな
(1750―1802)

江戸後期の大名。丹波(たんば)国(京都府)福知山(ふくちやま)藩主。龍橋(りゅうきょう)と号し、隠岐守(おきのかみ)、左門と称した。蘭学者(らんがくしゃ)、古銭の研究家として著名。前野良沢(りょうたく)に蘭学を学び、杉田玄白(げんぱく)、中川淳庵(じゅんあん)、大槻玄沢(おおつきげんたく)、桂川甫周(かつらがわほしゅう)ら初期の蘭学者をはじめ、オランダ商館長ティツィング、デュールコープ、フェイトらとも交わった。ことに玄沢の長崎遊学を支援したことはよく知られている。西洋地理学に専念し、長崎の通詞(つうじ)出身の荒井庄十郎(しょうじゅうろう)とともに『泰西輿地図説(たいせいよちずせつ)』を訳述、刊行。古銭を収集し、自ら『新撰(しんせん)銭譜』『泉貨鑑』『弄銭(ろうせん)奇鑑』を編述し、研究は『西洋銭譜』の刊行にまで及んだ。なお松平不昧(ふまい)公(治郷(はるさと))について石州流茶道を学び、不見庵(あん)宗非と号した。

[片桐一男]

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改訂新版 世界大百科事典 「朽木昌綱」の意味・わかりやすい解説

朽木昌綱 (くつきまさつな)
生没年:1750-1802(寛延3-享和2)

江戸後期の蘭学者。丹波福知山藩主。号は竜橋。1780年(安永9)隠岐守,87年(天明7)襲封。古銭を愛好して収集・研究し《新撰銭譜》《西洋銭譜》を刊行。蘭学者として杉田玄白・大槻玄沢・ティチングらと交わり,世界地理研究でも名高く,89年(寛政1)当時最も権威ある西洋地理書《泰西輿地図説》を編述刊行した。また茶道を松平治郷(不昧)に学び,不見庵宗非と号し,花鳥山水画をもよくした。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朽木昌綱」の意味・わかりやすい解説

朽木昌綱
くつきまさつな

[生]寛延3(1750).福知山
[没]享和2(1802).4.17. 福知山
江戸時代中期の丹波福知山藩主。号は龍橋。近江源氏佐々木氏の支流。出羽守綱貞の子。安永9 (1780) 年従五位下隠岐守,天明7 (87) 年襲封。花鳥風月の画をよくし,古銭研究者として『新撰銭譜』『西洋銭譜』を刊行。また当時大名では唯一の蘭学者として杉田玄白,大槻玄沢,司馬江漢らや平戸のオランダ商館長 I.ティチングとも交渉をもつ。また世界地理研究でも有名で,西方志理右衛門と名のり,その著『泰西輿地図説』は蘭書を記述編纂した当時最高の世界地理書であった。また石州流の茶道を松平不昧に学び,不見庵宗非と号した。門弟に鈴木宗得,有馬涼竹らがいる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朽木昌綱」の解説

朽木昌綱 くつき-まさつな

1750-1802 江戸時代後期の大名。
寛延3年1月27日生まれ。朽木綱貞(つなさだ)の次男朽木鋪綱(のぶつな)の養子となり,天明7年丹波福知山藩(京都府)藩主朽木家8代。前野良沢(りょうたく)に蘭学をまなぶ。古銭収集,世界地理研究で知られ,茶道,絵画もよくした。享和2年4月17日死去。53歳。号は竜橋。著作に「西洋銭譜」「泰西輿地(よち)図説」など。

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367日誕生日大事典 「朽木昌綱」の解説

朽木昌綱 (くつきまさつな)

生年月日:1750年1月27日
江戸時代中期;後期の大名;蘭学者
1802年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の朽木昌綱の言及

【泰西輿地図説】より

…江戸後期の西洋地誌概説書。丹波福知山藩主朽木(くつき)昌綱著。1789年(寛政1)刊。…

【丹波国】より

… 18世紀以降諸藩は教育に力を注ぎ,亀山藩の邁訓(まいきん)堂,園部藩の教先(きよせん)館,綾部藩の進徳館(のちの篤信館),福知山藩の惇明館,山家藩の致道(ちどう)館,篠山藩の振徳堂などの藩校が設けられた。好学の福知山藩主朽木昌綱はオランダ商館長,前野良沢らから蘭学を学び,《泰西輿地図説》《西洋銭譜》などを著している。このほか学者・文化人として,亀山に石門心学の石田梅岩,医師山脇東洋,画師円山応挙,桑田郡より陶工野々村仁清などが出ている。…

【蘭学階梯】より

…江戸蘭学勃興期に前野良沢についてオランダ語を修めた玄沢が,1785‐86年の長崎遊学後に,オランダの原書について蘭学を学ぼうとする学徒のため,蘭語学の基本的事項や学習方法について初心者向きにまとめたのが本書で,広く普及し版を重ねたので異版がある。初版刊行に当たっては,蘭癖大名で蘭学者のパトロンとして知られる福知山藩主朽木昌綱(くつきまさつな)の出版助成を受けている。玄沢の蘭語学学習法は,青木昆陽がひいた基本線を前野良沢が受け継ぎ,それを玄沢が引き継いだ形で行われ,蘭文法と漢文法の類似点に着目し,漢文直読法でない漢文訓読法による漢文学習法が蘭語学の学習に応用され,良沢の著した蘭語学書《和蘭(オランダ)訳文略》《蘭訳筌(せん)》ほかが,随所に利用されている。…

※「朽木昌綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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