コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

朽木昌綱 くつき まさつな

8件 の用語解説(朽木昌綱の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

朽木昌綱

江戸後期の丹波福知山藩朽木家八代当主。出羽守綱貞の子。初名は斧次郎、左門と称し、竜橋と号する。従五位下隠岐守、また近江守に任じられる。学者文人として高く評価され、『泰西輿地図説』をはじめ著書も多い。妻は松平不昧の妹で、自身不昧の弟子でもあった。画も能くした。享和2年(1802)歿、53才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

くつき‐まさつな【朽木昌綱】

[1750~1802]江戸中期の大名。丹波福知山藩主。蘭学・茶道を学び、古銭研究家として知られる。著「新撰銭譜」「西洋銭譜」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

朽木昌綱【くつきまさつな】

江戸中期の丹波(たんば)福知山藩主。号は竜橋(りゅうきょう)。前野良沢蘭学を学び,杉田玄白大槻玄沢桂川甫周オランダ商館長ティチングらと交友,いわゆる蘭癖(らんぺき)大名の一人。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朽木昌綱 くつき-まさつな

1750-1802 江戸時代後期の大名。
寛延3年1月27日生まれ。朽木綱貞(つなさだ)の次男。朽木鋪綱(のぶつな)の養子となり,天明7年丹波福知山藩(京都府)藩主朽木家8代。前野良沢(りょうたく)に蘭学をまなぶ。古銭収集,世界地理研究で知られ,茶道,絵画もよくした。享和2年4月17日死去。53歳。号は竜橋。著作に「西洋銭譜」「泰西輿地(よち)図説」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

くつきまさつな【朽木昌綱】

1750‐1802(寛延3‐享和2)
江戸後期の蘭学者。丹波福知山藩主。号は竜橋。1780年(安永9)隠岐守,87年(天明7)襲封。古銭を愛好して収集・研究し《新撰銭譜》《西洋銭譜》を刊行。蘭学者として杉田玄白大槻玄沢ティチングらと交わり,世界地理研究でも名高く,89年(寛政1)当時最も権威ある西洋地理書《泰西輿地図説》を編述刊行した。また茶道を松平治郷(不昧)に学び,不見庵宗非と号し,花鳥山水画をもよくした。【有坂 隆道】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

くつきまさつな【朽木昌綱】

1750~1802) 江戸後期の丹波福知山藩主・蘭学者。前野良沢に師事、大槻玄沢・杉田玄白らと交わる。外国の地理書を考究し「泰西輿地よち図説」を著す。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朽木昌綱
くつきまさつな

[生]寛延3(1750).福知山
[没]享和2(1802).4.17. 福知山
江戸時代中期の丹波福知山藩主。号は龍橋。近江源氏佐々木氏の支流。出羽守綱貞の子。安永9 (1780) 年従五位下隠岐守,天明7 (87) 年襲封。花鳥風月の画をよくし,古銭研究者として『新撰銭譜』『西洋銭譜』を刊行。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朽木昌綱
くつきまさつな
(1750―1802)

江戸後期の大名。丹波(たんば)国(京都府)福知山(ふくちやま)藩主。龍橋(りゅうきょう)と号し、隠岐守(おきのかみ)、左門と称した。蘭学者(らんがくしゃ)、古銭の研究家として著名。前野良沢(りょうたく)に蘭学を学び、杉田玄白(げんぱく)、中川淳庵(じゅんあん)、大槻玄沢(おおつきげんたく)、桂川甫周(かつらがわほしゅう)ら初期の蘭学者をはじめ、オランダ商館長ティツィング、デュールコープ、フェイトらとも交わった。ことに玄沢の長崎遊学を支援したことはよく知られている。西洋地理学に専念し、長崎の通詞(つうじ)出身の荒井庄十郎(しょうじゅうろう)とともに『泰西輿地図説(たいせいよちずせつ)』を訳述、刊行。古銭を収集し、自ら『新撰(しんせん)銭譜』『泉貨鑑』『弄銭(ろうせん)奇鑑』を編述し、研究は『西洋銭譜』の刊行にまで及んだ。なお松平不昧(ふまい)公(治郷(はるさと))について石州流茶道を学び、不見庵(あん)宗非と号した。[片桐一男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の朽木昌綱の言及

【泰西輿地図説】より

…江戸後期の西洋地誌概説書。丹波福知山藩主朽木(くつき)昌綱著。1789年(寛政1)刊。…

【丹波国】より

… 18世紀以降諸藩は教育に力を注ぎ,亀山藩の邁訓(まいきん)堂,園部藩の教先(きよせん)館,綾部藩の進徳館(のちの篤信館),福知山藩の惇明館,山家藩の致道(ちどう)館,篠山藩の振徳堂などの藩校が設けられた。好学の福知山藩主朽木昌綱はオランダ商館長,前野良沢らから蘭学を学び,《泰西輿地図説》《西洋銭譜》などを著している。このほか学者・文化人として,亀山に石門心学の石田梅岩,医師山脇東洋,画師円山応挙,桑田郡より陶工野々村仁清などが出ている。…

【蘭学階梯】より

…江戸蘭学勃興期に前野良沢についてオランダ語を修めた玄沢が,1785‐86年の長崎遊学後に,オランダの原書について蘭学を学ぼうとする学徒のため,蘭語学の基本的事項や学習方法について初心者向きにまとめたのが本書で,広く普及し版を重ねたので異版がある。初版刊行に当たっては,蘭癖大名で蘭学者のパトロンとして知られる福知山藩主朽木昌綱(くつきまさつな)の出版助成を受けている。玄沢の蘭語学学習法は,青木昆陽がひいた基本線を前野良沢が受け継ぎ,それを玄沢が引き継いだ形で行われ,蘭文法と漢文法の類似点に着目し,漢文直読法でない漢文訓読法による漢文学習法が蘭語学の学習に応用され,良沢の著した蘭語学書《和蘭(オランダ)訳文略》《蘭訳筌(せん)》ほかが,随所に利用されている。…

※「朽木昌綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

朽木昌綱の関連キーワード朽木植昌大村成富朽木綱方朽木綱貞(1)朽木綱張朽木倫綱近藤善蔵松平幾百女米倉昌寿泰西輿地図説

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

朽木昌綱の関連情報