漆工の青貝細工(螺鈿(らでん))の一手法で,菱形や方形に切った青貝と金・銀切金の細片を組み合わせて精細な文様を表すもの。延宝年間(1673-81)富山藩主前田正甫が青貝師杣田清輔を京都より招請し,藩の青貝師として重用したことに始まるといわれ,その子孫も業を継ぎ幕末に至っている。青貝細工(特に薄貝法の場合)全般を杣田と称することもある。しかし,貝と切金の細片を用いる技法は,中国明代にすでに行われていたようで,《髹飾録》に〈螺鈿加金銀片〉とあるのがそれに当たる。また杣田清輔以前と思われる寛文7年(1667)銘の小厨子(大徳寺)も存在し,富山のほか琉球,江戸でもこの技法は行われた。明治以後の青貝細工は高岡市がその中心となった。
執筆者:鈴木 規夫
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…以後,高蒔絵などには欠かすことのできない技法となり,桃山時代の《子日蒔絵棚》(日野原家),《住吉蒔絵机》(仁和寺)などで効果的に応用された。江戸時代以降,切金は技巧顕示の対象となり,余白を埋めつくす切金地や極付(きめつけ)が考案され,青貝との組合せによる杣田(そまだ)細工など,さまざまの工夫が試みられた。【中里 寿克】。…
…伝本阿弥光悦作〈樵夫蒔絵硯箱〉(MOA美術館),尾形光琳作〈八橋蒔絵螺鈿硯箱〉(東京国立博物館)などは,必要以上の細工を施さず,しかも蒔絵や鉛板など他の材と大胆に組み合わせている。その後は技術的にさらに巧緻となり,薄貝や切金をモザイク風に組み合わせた杣田(そまだ)細工,貝牙角を彫刻してリアルに表現した芝山(しばやま)細工などが18世紀に生まれた。漆工芸【中里 寿克】。…
※「杣田細工」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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