金箔や銀箔を截断し,細長い線状や三角,四角の小片とし,これを彫刻や絵画などに貼付して輪郭線や衣褶線,文様をあらわす装飾技法。絵画では平安時代の藤原仏画の装飾に欠かせない技法として重用された。鳳凰堂扉絵では,仏菩薩の着衣の輪郭線や衣褶線はすべて截金であらわされ,1086年(応徳3)の《応徳涅槃図》では釈迦の着衣に,七宝つなぎ(七宝文),立涌(たてわく)文,卍つなぎ(卍文),菊花丸文などの截金文様が施され,画面に華麗さを添えている。さらに1127年(大治2)の東寺五大尊像,旧東寺十二天像に至って截金文様は円熟のきわみを示す。しかし平安時代末から鎌倉時代へと時代が降るにつれ,しだいに彩色との調和よりも截金自体の繊細さを表現する傾向が強くなり,皆金色阿弥陀如来像の諸例に典型的にみられるように,麻の葉模様などの新しい文様を加え,一層複雑な技巧を見せながら職人的な技法に堕していった。
執筆者:田口 栄一 蒔絵(まきえ)では,一般に文様の主要な部分に1mm角前後の金銀の薄板を貼付するものをいう。遺例は鎌倉時代からあり,《籬菊蒔絵硯箱》(鶴岡八幡宮),《長生殿蒔絵手箱》(大倉集古館)などに用いられている。以後,高蒔絵などには欠かすことのできない技法となり,桃山時代の《子日蒔絵棚》(日野原家),《住吉蒔絵机》(仁和寺)などで効果的に応用された。江戸時代以降,切金は技巧顕示の対象となり,余白を埋めつくす切金地や極付(きめつけ)が考案され,青貝との組合せによる杣田(そまだ)細工など,さまざまの工夫が試みられた。
執筆者:中里 寿克
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截金とも書く。金銀の箔(はく)を細線状あるいは小さな三角、四角などに切ってはり、文様を施す手法。主として仏画や仏像彫刻などの装飾に、他の顔料(がんりょう)とともに用いられる。金銀の泥(でい)を使って筆で描くより技術的にはめんどうであるが、仕上がりが明確で、装飾的効果が高い。
起源は中国で、奈良時代に唐からもたらされたが、平安時代以後日本独自の発展を示した。初めは比較的単純なものであったが、平安後期、とくに院政期の仏画には繊細で精緻(せいち)な切金意匠が尊像を飾り、鎌倉時代には文様も複雑化し、また技巧に走りすぎる傾向が強くみられる。なお古くは細金(ほそがね)と称された。
[村重 寧]
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…本来この種の訴訟は当事者の実意により相対で解決すべきものであるとして,幕府は和解(内済(ないさい))を強く指導した。訴訟手続上は出訴最低額の制限,原告だけの申立てによる内済の成立(片済口(かたすみくち))などのほか,とくに債務の長期分割弁済(切金(きりがね))に顕著な特徴があり,また訴訟がおびただしくなると相対済令(あいたいすましれい)が出されるなど,債権保護の点で本公事よりも冷遇されていた。しかし1843年(天保14)老中水野忠邦による天保改革に際して金公事法制は改正され,債務者が百姓町人の場合については切金を適用せず総財産に対する強制執行(身代限(しんだいかぎり))を速やかに行うようにするなど,先進的な大坂町奉行所の法の導入によって債権保護が強化され,以後本公事との差異は実質的に少となって明治に及んだ。…
…このようにして扱いやすくなった箔を,数度膠液を塗った紙,絹の画面上に,どうさ(礬水)液などで貼ってゆく。 古代から仏画などにみられる切(截)金(きりかね)は,仏師箔とよばれる銀を多く含んだ厚い箔と金箔を炭火で焼き合わせた後,軟らかな鹿皮の上にのせ,竹刀で細く切り,2本の筆を使って文様を描いてゆく技術である。砂子(すなご)は粗密各種類の網を張った竹筒に切廻し箔を入れ粒状にした後,再び竹筒に入れ棒などで竹筒をたたいて画面に落としてゆく技法で,装飾効果を高めるためのものである。…
※「切金」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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