東みよし(読み)ひがしみよし

改訂新版 世界大百科事典 「東みよし」の意味・わかりやすい解説

東みよし[町] (ひがしみよし)

徳島県北西部,三好(みよし)郡の町。2006年3月三加茂(みかも)町と三好町が合体して成立した。人口1万5044(2010)。

東みよし町南東部の旧町。三好郡所属。人口9617(2005)。吉野川南岸に位置し,徳島市に至るJR徳島線,国道192号線が通る。吉野川の沖積低地の開拓は古く,中心集落の加茂や中庄には条里制の遺構がよく残されている。近年国道が改良され,沿線の都市化が進んでいる。加茂谷川沿いの鍛冶屋敷祖谷(いや)地方から吉野川低地に出るところに発達した谷口集落で,現在では自動車道路がここから桟敷(さじき)峠を越えて三好市の旧東祖谷山村の落合峠まで通じている。南部山間地の水の丸では県営パイロット事業により60haが開拓され,ダイコンレタス,イチゴなどの高冷地野菜が栽培されている。丹田古墳(史)や加茂の大クス(特天),大藤谷川の土々呂(とどろ)の滝(落差28m),吉野川の景勝地美濃田の淵などがある。

東みよし町北西部の旧町。三好郡所属。人口6009(2005)。讃岐山脈南麓,吉野川中流北岸にあり,北は香川県に接する。吉野川に沿う低地は狭く,昼間,足代(あしろ)の主集落は小規模な複合扇状地上に位置する。山地集落では古くから香川県との交流が盛んで,近年まで香川県側へ農耕牛を賃稼ぎに出す借耕(かりこ)牛の習慣があった。米,タバコ,ハッサクなどの栽培のほか,畜産が行われる。足代八幡神社は源頼朝が三野田保を石清水(いわしみず)八幡宮に寄進した際,その分霊を勧請したものと伝える。東の旧三加茂町にまたがる吉野川の〈美濃田の淵〉は結晶片岩からなる奇岩群とツツジで有名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東みよし」の意味・わかりやすい解説

東みよし(町)
ひがしみよし

徳島県北西部、三好(みよし)郡にある町。2006年(平成18)、三好町、三加茂(みかも)町が合併して成立。北は讃岐(さぬき)山脈、南は四国山地に囲まれ、中央を吉野川が東流する。吉野川の北側が旧三好町、南側が旧三加茂町で、両地域は三三大橋で結ばれている。町域の大部分は山地で、吉野川流域に市街地や耕地が開けている。吉野川沿いにJR徳島線と国道192号が並行して走り、さらに徳島自動車道も通り、吉野川サービスエリアにETC専用のスマートインターチェンジがある。主産業は農業で、米作のほか、サツマイモ、豆類や、高冷地蔬菜(そさい)のハクサイ、レタス、ダイコンを栽培、シイタケ、クリ、ミツマタなどの林産物もある。

 北部は、かつては讃岐(香川県)側と結び付きが強く、讃岐からの物資の流入や、讃岐へ水田耕作のために借耕牛(かりこうし)が入り、また通婚も多かった。南部には、縄文時代を中心とする加茂谷川岩陰遺跡群(県史跡)、前方後円(方)墳の丹田(たんだ)古墳(国史跡)などがある。条里制の遺構がみられ、白鳳期の瓦を出土した金丸廃寺(かなまるはいじ)がある。祖谷(いや)地方に通ずる道もつくられ、物資の交流が行われていた。長善寺(ちょうぜんじ)の絹本著色文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像と絹本著色金剛薩埵(さった)像は国の重要文化財、「加茂の大クス」は国の特別天然記念物に指定されている。面積122.48平方キロメートル、人口1万3622(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「東みよし」の意味・わかりやすい解説

東みよし[町]【ひがしみよし】

徳島県南西部に位置する三好郡の町。北部を香川県に接する。2006年3月,三好郡三好町,三加茂町が合併し町制。JR徳島線,徳島自動車道,国道192号線が通じる。122.48km2。1万5044人(2010)。

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