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東アジア世界 ひがしあじあせかい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東アジア世界
ひがしあじあせかい

中国、日本、朝鮮、ベトナムなどの東アジア地域の各民族・国家の歴史の発展を、国際的関係のなかでとらえようとする立場から設定された歴史学上の地域的世界の概念。
 日本の歴史・文化が隣国の中国や朝鮮と密接な関係をもってきたことは、古来言及されてきたが、第二次世界大戦後の歴史学研究では、単なる一国史あるいは交渉史の立場ではなく、新しい観点から「東アジア世界」の歴史に焦点があてられることになった。とくに中国史の前田直典(なおのり)(1915―49)が1948年(昭和23)に「東アジアに於(お)ける古代の終末」という画期的論文を発表し、中国、朝鮮、日本などの東アジア諸民族の社会発展には相互に関連性が認められることを指摘したことは、東アジア世界論の出発点となった。前田は、東アジアにおける古代統一国家の形成時期が、中国では戦国時代から紀元前3世紀ころであるのに対して、日本、朝鮮では7、8世紀以上の遅れがあったが、古代の終末時期では、9世紀前後の中国に比べて3、4世紀の差に縮まり、さらに近世の中国と日本では並行のレベルに追い付いたものと考えた。つまり東アジアの歴史の発達は、早くに開けた中国に対して、周辺の地域が古代、中世、近世と経過するにしたがって、時間的な差を縮めていく過程であると理解したのである。
 前田の斬新(ざんしん)な東アジア世界論は、第二次世界大戦後の中国史、日本史、朝鮮史の各分野の研究に大きな影響を与え、今日では批判される点はあるが、継承していくべき論点を多く含んでいる。批判点の第一は、中国、朝鮮、日本3国の社会発展の段階に時間的な差があることのみを取り上げ、構造的な関連性をかならずしも明らかにしなかったこと、第二は、社会発展の共通性に焦点をあてたために、各国の独自性が十分検討されていなかったこと、などである。前田の論が中国を中心に展開されたために、とくに日本史、朝鮮史の研究者から、東アジア諸国の歴史的発展の独自性を認める立場が強調されたのである。
 前田の東アジア世界論を、中国史研究の立場から継承・発展させたのが、西嶋定生(にしじまさだお)(1919―98)の冊封(さくほう)体制論である。西嶋は、漢字、儒教、仏教、律令(りつりょう)などの文化を共有する東アジアの地域の歴史は、冊封体制という中国の王朝を中心とする国際的政治構造のなかで自己完結的に展開したと説明する。冊封とは、中国の皇帝が、国内の王侯と同様に周辺諸国の首長に爵位を授け、藩国、外臣として封建することであり、これによって中国の皇帝と被冊封国の首長との間には、前者の保護責任と後者の職約(朝貢、出兵、臣下の礼など)義務といった関係が生ずる。とくに唐王朝が滅亡する10世紀までは、冊封体制は古代東アジア世界の国際的政治構造を支えていた。1世紀の倭(わ)の奴(な)国は、後漢(ごかん)の光武帝から「漢委奴国王」の金印を賜って冊封を受け、3世紀の邪馬台(やまたい)国の女王卑弥呼(ひみこ)も、魏(ぎ)から「親魏倭王」の金印を受けて冊封されたと伝えられ、5世紀にも「倭の五王」は南朝にそれぞれ遣使して冊封を受けたとされている。また朝鮮半島でも高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)は中国王朝の冊封国である。これら中国の周辺諸民族が、いちはやく統一帝国の形成を成し遂げた中国と冊封関係を結び、その体制のなかに編入されたことは、古代国家形成の重要な対外的契機としてとらえられよう。また中国文化が、冊封体制という国際的政治構造を媒介として周辺の東アジア地域に伝わったとする見解も、従来の単なる文化交流史にはみられない新しい東アジア世界像を提起しているといえよう。
 西嶋の東アジア世界論、冊封体制論も、日本史研究の立場からみると、当然ながら中国中心史観としての批判もあるが、現在までに批判的に継承され、さらに発展されつつある。中国史の堀敏一(ほりとしかず)(1924―2007)は、冊封体制の存在を認めながらも、冊封以外にも朝貢、羈縻州(きびしゅう)(周辺諸民族統治政策の下で大幅な自治を認められている州)まで多様であったこと、また現実の国際関係は諸国家の位置や力関係によって左右されていたことを強調している。朝鮮古代史の李成市(りせいし/イソンシ)(1952― )も、中国と周辺民族の関係よりも周辺諸民族相互の関係に注目している。さらに中国近代史の濱下武志(はましたたけし)(1943― )は、清王朝を中心として東アジアばかりか西南中国、東北アジア、東南アジアへも広がる朝貢システムに焦点をあて、もはや東アジアだけを切り離すことのない積極的なアジア像を描いている。この場合、中華の世界秩序は、中国王朝の中央から同心円上に、地方、土司(どし)・土官(どかん)(少数民族の間接統治)、藩部(はんぶ)(モンゴル・チベット・回部(かいぶ))、朝貢(東南アジア・朝鮮・琉球)、互市(ごし)(明(みん)中期以降の日本)と描かれる。
 東アジア世界論は日本人の側の国際的な歴史認識であり、一国史・一民族史や二国間の交渉史といった古い観点から抜け出し、一つの歴史的世界のなかで国家・民族の歴史をとらえようとする積極的な姿勢がみられた。しかし、中国からみれば、東アジアは一部にすぎないし、現実の国際感覚ではない。今後はユーラシア東方世界のなかで、より広く諸国家、諸民族の歴史をみていくことが必要であろう。[鶴間和幸]
『西嶋定生著『中国古代国家と東アジア世界』(1983・東京大学出版会) ▽荒野泰典著『近代日本と東アジア』(1988・東京大学出版会) ▽濱下武志著『近世中国の国際的契機――朝貢貿易システムと近代アジア』(1990・東京大学出版会) ▽川島平太著『文明の海洋史観』(1997・中央公論社) ▽堀敏一著『東アジアのなかの古代日本』(1998・研文出版) ▽李成市著『東アジア文化圏の形成』(2000・山川出版社) ▽西嶋定生著、李成市編『古代東アジア世界と日本』(岩波現代文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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