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互市 ごしhu-shi; hu-shih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

互市
ごし
hu-shi; hu-shih

中国諸王朝と北辺,西辺諸国との陸上貿易をいう。唐代までは,互市場を関市,胡市といい,その数は少なかったが,宋代の榷場 (かくじょう) ,明代の馬市は,辺境にモンゴルなどの強力な国あるいは民族があったので,市場は多く,貿易額も大きかった。 榷場では,政府の監督下に,北方の馬,牛,羊,毛皮などに対して,中国絹織物,穀物,茶,金,銀,漆器,書籍などが取引された。明代の馬市は政治・経済・軍事上重要であった。なお,海上貿易は互市舶,市舶という。

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世界大百科事典 第2版の解説

ごし【互市 hù shì】

中国およびその周辺の国々で,国境上や貿易の幹線上に設けた国際ないし地方際貿易場,またその貿易。海港の場合は互市舶,市舶という。同義語に榷(かく),榷場(かくじよう)と表現するように,もともとモノポリー経済封鎖鎖国関所の役目を果たす消極的・防衛的な貿易であった。中国が経済力を充実し,周辺諸国の実力も向上した宋代以後,馬,絹,茶,貴金属銅銭,毛皮,香薬などを互市場に限って交換し,外圧を平和裏に懐柔して外交の均衡を守る機能を果たした。

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大辞林 第三版の解説

ごし【互市】

互いに物を売買すること。貿易。交易。 「開港-にあらざれば富国強兵の策なし/安愚楽鍋 魯文

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

互市
ごし

中国で外国との貿易のため辺境に設定された開市場。中国と諸外国との交渉は、政治や外交など儀礼や威信表明にかかわる部分と、貿易のような実利の部分があった。資源や文化、技術に長じた中国は、長く貿易を政治、外交の副産物として考え、海陸の商業路が中国の実質的領域と接する地点を選んで開市場を設け、制限的に貿易を許し、情報や軍事機密、武器、通貨の出入を監視した。こうした地点とその市(いち)を互市場(ごしじょう)(かくじょう)、関市(かんし)といい、海港については市舶場(しはくじょう)とよんだ。
 市場性の高い馬、羊、絹、茶、香料、香辛料、薬物、漆器が代表商品であったが、金、銀、銅銭(禁輸品)などの貨幣、書物(一部禁輸)、塩や穀物(禁輸)、鉄器、銅器、陶磁器なども交換された。
 宋(そう)は海港の互市を奨励し、明(みん)は北辺の馬市(ばし)、海港での日本産の銀や銅の買付けを進め、清(しん)は海上貿易を当初広州に限定した。こうした互市は、中国周辺諸国相互間や、これらと中国との通商についても認められる。[斯波義信]

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世界大百科事典内の互市の言及

【高清水[町]】より

…中心集落の高清水は江戸時代,奥州街道の宿場町で,1757年(宝暦7)以後仙台藩の一家の家格の石母田氏が館を構えていた。六斎市が立ち,牟良佐喜神社の年3回の祭りにちなんで行われた互市(たがいち)(物々交換市)は現在も続いている。付近は水田地帯だが,かつては用水不足に見舞われることが多かった。…

【築館[町]】より

…現在も国や県の出先機関が多く,栗原郡一帯のバス交通の中心でもある。商業活動も盛んで,江戸時代から続く互市(たがいち)には近隣から人々が集まる。城生野(じようの)は767年(神護景雲1)伊治城が置かれた地で,780年(宝亀11)伊治呰麻呂(いじのあざまろ)の反乱が起こったところとして知られる。…

※「互市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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