新撰 芸能人物事典 明治~平成 「東千代之介」の解説
東 千代之介
アズマ チヨノスケ
- 職業
- 俳優,日本舞踊家
- 肩書
- 若菜流家元
- 本名
- 若和田 孝之(ワカワダ タカユキ)
- 生年月日
- 大正15年 8月19日
- 出生地
- 東京市 四谷区本塩町(東京都 新宿区)
- 学歴
- 東京芸術大学邦楽科〔昭和24年〕卒
- 経歴
- 父は長唄の家元・杵屋弥三郎で、2人兄弟の二男。5歳から長唄をはじめるが、歌舞伎俳優の尾上鯉三郎が伯父だったことから俳優を志すようになり、昭和13年より花柳徳太郎に日本舞踊を習う。20年7月応召するが、間もなく敗戦。復員後は東京音楽学校邦楽科で学ぶ一方、藤間勘十郎や坂東蓑助(8代目坂東三津五郎)らに師事して日本舞踊の振付けを学んだ。27年坂東流の名取となり、坂東伊三郎の名で踊りの師匠となるが、28年名古屋での稽古中、踊りのできる若手を探していた東映中部支部長・竹本元信の眼に止まり、その誘いで東映に入社。マキノ光雄の命名で東千代之介を芸名とし、29年の映画デビュー作「雪之丞変化」(河野寿一監督)ではさっそく主役に抜擢され、作品は大ヒットとなった。その後、中村錦之助(萬屋錦之介)とコンビを組んだ「笛吹童子」「里見八犬伝」「紅孔雀」がいずれも成功。昭和30年代前半には「侍ニッポン」「美女と怪竜」「夕日と拳銃」「鞍馬天狗」「佐々木小次郎」など年間10本に近い主演作を持ち、踊りで鍛えた端麗な容姿と軽やかな身のこなしで錦之助と並ぶスターとなり、時代劇の黄金時代を築いた。他に〈水戸黄門〉シリーズの格さん、「勢揃い東海道」などに相次いで出演したあと、時代劇の衰退とともに40年東映を退社。47年日本舞踊の若菜流を興し、日舞教授として踊りを教える傍ら、舞台やテレビを中心に活躍。当時の大スターとしては珍しく恬淡寡欲で、壮年になってからは映画やテレビでは脇役なども務め、「バトルフィーバーJ」の倉間鉄山将軍役のように子ども向けの特撮番組に出演することもあった。晩年は映画「ZIPANG」やNHK朝の連続テレビ小説「京、ふたり」などで健在ぶりを見せたが、平成5年に脳梗塞で倒れてからは踊りに専念した。10年「東千代之介 東映チャンバラ黄金時代」を出版した。
- 没年月日
- 平成12年 11月9日 (2000年)
- 家族
- 父=杵屋 弥三郎(長唄6代家元),祖父=中村 堪助(歌舞伎俳優)
- 親族
- 伯父=尾上 鯉三郎(歌舞伎俳優)
- 伝記
- 木久扇のチャンバラスターうんちく塾銀幕の昭和―「スタア」がいた時代東千代之介―東映チャンバラ黄金時代 林家 木久扇 文・絵筒井 清忠 編著,井上 理砂子,板倉 宏臣,中沢 まゆみ 著東千代之介を愛する会 編(発行元 小池書院清流出版ワイズ出版 ’07’00’98発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報