東御(市)(読み)とうみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東御(市)」の意味・わかりやすい解説

東御(市)
とうみ

長野県の東部にある市。2004年(平成16)小県(ちいさがた)郡東部町(とうぶまち)と北佐久(きたさく)郡北御牧村(きたみまきむら)とが合併、市制を施行して成立。市域のやや南寄りを千曲川(ちくまがわ)が西流する。これに並行してしなの鉄道、国道18号が通じる。その北側を上信越自動車道が走り、東部湯の丸インターチェンジがある。北部は浅間連山の篭ノ登(かごのと)山(東篭ノ登2228メートル、西篭ノ登2212メートル)、湯ノ丸(ゆのまる)山(2101メートル)、烏帽子(えぼし)岳(2006メートル)などが連なり、南面の緩傾斜地が千曲川沿岸まで広がる。これらの山々を水源として傾斜地を流下する所沢(しょざわ)川、三分(みわけ)川、金原(かなばら)川、成沢(なるさわ)川が千曲川の北岸に注ぎ、耕地は標高1000メートル以上まで開かれる。南部は標高700メートル前後の御牧原(みまきがはら)台地(東方)、八重原(やえばら)台地(西方)が展開、両台地の間を開析しながら北流する鹿曲(かくま)川が千曲川の南岸に注ぐ。おもな市街、集落は千曲川の本流域に形成され、浅間連山の緩傾斜地や鹿曲川の段丘上にも集落が点在する。滋野(しげの)の原口集落の北東方、標高約750メートルの扇状地上にある戌立石器時代住居跡(いぬたてせっきじだいじゅうきょあと)(国指定史跡)は縄文時代中期から後期中ごろまでの遺跡。古代の信濃16牧の一つ、望月牧は御牧原台地を中心に設置されたと考えられる。江戸時代に中山道と北陸道を結ぶ脇往還(わきおうかん)の北国街道北国脇往還)が整備されると、市域に田中宿、海野宿(うんのじゅく)(この2宿で合宿)が設けられた。田中、海野(本海野(もとうんの))の両地区は現在も市街を形成、旧態がよく残る海野宿の町並は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。八重原台地は江戸時代後期に、御牧原台地は明治期に入って開発が進んだ。基幹産業は農業で、ブランド米の八重原米のほか、和(かのう)地区を中心としたクルミオニグルミ)やブドウ(巨峰)、ジャガイモ(白土馬鈴薯(ばれいしょ))、トウモロコシスイートコーン)、ニンジン(薬用人参)などが特産。現在はインター東部流通団地や上川原、羽毛山(はけやま)の両工業団地の整備など、流通業や工業の振興にも力を注いでいる。浅間連山一帯は上信越高原国立公園の一部で、湯の丸高原や池の平湿原などを訪れる観光客も多い。面積112.37平方キロメートル、人口3万0122(2020)。

[編集部]


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