明治・大正・昭和時代の軍人。明治11年7月27日、名古屋に生まれる。1897年(明治30)陸軍士官学校卒業。陸軍大学校在学中、日露戦争に従軍。1906年(明治39)から1919年まで参謀本部員、その間中国に駐在すること前後2回8か年に及び、国民党の袁世凱(えんせいがい)打倒に協力した(軍部内の「南方派」の一人)。1918年(大正7)大佐、1923年少将、1927年(昭和2)中将、1933年大将に昇進し、1935年予備役となる。その間、歩兵第二九連隊長、浦塩(ウラジオ)派遣軍参謀、ハルビン特務機関長、第三五旅団長、参謀本部第二部長、第一一師団長、ジュネーブ一般軍縮会議全権委員、台湾軍司令官、軍参議官を歴任した。1937年日中戦争が起こり現役に復帰、8月上海(シャンハイ)派遣軍司令官、10月中支那(しな)方面軍司令官となり、首都南京(ナンキン)を攻略し、翌1938年3月復員。年来大アジア主義を主張し、晩年は熱海(あたみ)伊豆山に隠棲(いんせい)して、観音堂戒壇を建立し日中両国の犠牲兵を合祀(ごうし)した。敗戦後、極東国際軍事裁判において南京占領時の大残虐事件の責により死刑を宣告され、昭和23年12月23日処刑された。
[洞 富雄]
『横山健堂著『松井大将伝』(1938・八紘社)』▽『松井七夫著『兄松井石根を語る』(1938・富士書房)』▽『田中正明著『“南京虐殺”の虚構(松井大将の日記をめぐって)』(1984・日本教文社)』
大正・昭和期の陸軍大将
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…1937年(昭和12)8月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被った。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。…
※「松井石根」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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