松村英一(読み)まつむらえいいち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松村英一」の意味・わかりやすい解説

松村英一
まつむらえいいち
(1889―1981)

歌人。東京・芝愛宕(あたご)下に生まれる。商業見習いや新聞記者を経、生涯の大部分を文筆生活に過ごす。「十月会」に参加し、窪田空穂(くぼたうつぼ)創刊の『国民文学』を継承し主宰。『春かへる日』(1913)の自然主義の影響による破調歌を含む若い情景のあふれる作から、『やますげ』で写実的歌風樹立。『山の井』(1950)の円熟に至り、以後、自在な滋味と深い悲哀感の作を残す。そのほか歌集九冊、『短歌論鈔(しょう)』『短歌管見』など多くの歌論書入門書、古典和歌論が多い。

武川忠一

 さえざえと咲くは木の花草の花はなの白妙(しろたへ)夕つ日照らす

『『松村英一全歌集』上下(1958・国民文学社)』『『短歌 特集 松村英一追悼』(1981.6・角川書店)』『『国民文学 松村英一追悼特集号』(1982.2・国民文学社)』『千代国一著『松村英一の秀歌』(1986・短歌新聞社)』

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20世紀日本人名事典 「松村英一」の解説

松村 英一
マツムラ エイイチ

大正・昭和期の歌人 「国民文学」主宰。



生年
明治22(1889)年12月31日

没年
昭和56(1981)年2月25日

出生地
東京

別名
号=松村 彩花

主な受賞名〔年〕
日本歌人クラブ推薦歌集(第5回)〔昭和34年〕「松村英一歌集」

経歴
15歳で空穂師事。大正6年から「国民文学」を編集、運営。後に主宰。「短歌雑誌」などの編集も手がける。また大日本歌人協会等の運営に携わり、宮中歌会始選者を務めた。日本歌人クラブ、現代歌人協会名誉会員。歌集に「春かへる日に」「露原」「山の井」「樹氷氷壁」「松村英一全歌集」(上 下)、評論に「現代短歌の志向」「現代短歌の話」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松村英一」の解説

松村英一 まつむら-えいいち

1889-1981 大正-昭和時代の歌人。
明治22年12月31日生まれ。窪田空穂(くぼた-うつぼ)に師事。空穂の「国民文学」をうけつぎ主宰,大正6年の「短歌雑誌」刊行にも参画した。歌集に「露原」「樹氷と氷壁」など。歌論書,評釈書もおおい。昭和56年2月25日死去。91歳。東京出身。号は彩花。
【格言など】左様ならが言葉の最後耳に留めて心しづかに吾を見給へ(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松村英一」の解説

松村 英一 (まつむら えいいち)

生年月日:1889年12月31日
大正時代;昭和時代の歌人。「国民文学」主宰
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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