日本歴史地名大系 「松林寺跡」の解説 松林寺跡しようりんじあと 福井県:小浜市竹原村広嶺神社松林寺跡現存しない。「若州管内社寺由緒記」に「真言宗雲浜千種の森雲月宮松林寺は若耶之名区にて殊千手観音之霊地也」とあり、雲月(くもつき)宮(現天満神社)の神宮寺と思われる。羽賀寺の末寺だったが、明治初年の神仏分離の際、同寺に合併された。千手観音(木造立像)は現在羽賀寺に安置される(国指定重要文化財)。観音の胎内には「長寛三年乙酉卯月六日甲申始 若狭国松林寺本尊也 但堂仏焼亡畢後奉造立 願主石前明意諍秀 仏師肥前□(講カ) 勝勝厳造也」の銘文がある。文永二年の若狭国惣田数帳写に「松林寺一町二反 宮同名」とみえ、寺領が雲月宮と同所にあった。 松林寺跡しようりんじあと 熊本県:熊本市熊本城下西古町懸松林寺跡[現在地名]熊本市中唐人町中唐人(なかとうじん)町の南側にあった寺で、不動院と号し、天台宗。本尊は不動明王。「国誌」によれば、朱雀天皇の承平二年(九三二)「国中疫疾流行ニ依テ為悉除疫病」のため、国司藤原保昌が古府中二本木(こふちゆうにほんぎ)に草創した寺に始まり、開山は比叡山僧都快勤という。しかし藤原保昌が肥後守に任命されるのは寛弘二年(一〇〇五)であるから(御堂関白記)、創立の詳細な年代は未詳。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by