寺蔵の伝伊予法眼筆「本浄山羽賀寺縁起」によれば、霊亀二年(七一六)二月、神の鳥が来てこの山頂にとまった。舞上がり舞降り五色の羽毛を輝かし、うるわしい声で鳴いた。聞くものはこれに感じ、ともに欲望を忘れるに至るものであった。いまだ人が聞かないうちに三日にしてまっすぐ天にむけて飛び上り去っていった。ある者が登って山の嶺をみると、その羽毛が二枚残っていた。その色は溶けた赤銅のごとくで、その赤はたとえようもなかった。若狭国の目代がこれを取上げて献上した。帝が左右の官吏にこれをみせたが、その鳥の名を知るものはいなかった。帝が行基に質問したところ、行基はこれは鳳凰の翼の羽である、鳳凰が出現すれば天下に慶事がある、これは太平の旗印である。そして鳳凰の降ったところには必ず玉が生じる。その地を調べるべきであると答えた。調べたところ、そのとおりに一顆の玉を得て帝に献納した。帝は羽毛の祈福を賀し、その地に寺を創建した。山号を鳳聚寺といい、称して羽賀という。寺は天暦元年(九四七)八月下旬の洪水で埋没、翌年
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福井県小浜(おばま)市羽賀にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗の寺。本浄山と号する。本尊は十一面観音菩薩(かんのんぼさつ)。716年(霊亀2)行基(ぎょうき)の開創と伝える。947年(天暦1)山津波によりすべての堂塔を失ったが、雲居(うんご)寺の浄蔵が霊力によって土中の本尊を発見し、伽藍(がらん)を再建し寺運隆盛を迎えたといわれる。1190年(建久1)源頼朝(よりとも)が三重塔(焼失)を寄進、1447年(文安4)安倍康季が本堂(国重文)などを再建、山号を鳳聚(ほうじゅ)山から現山号に改めた。寺宝には本尊の十一面観音立像、毘沙門天(びしゃもんてん)立像、千手(せんじゅ)観音立像、後陽成(ごようぜい)天皇勅筆の羽賀寺縁起(いずれも国重文)などがある。
[眞柴弘宗]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新