デジタル大辞泉
「板門店」の意味・読み・例文・類語
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板門店
板門店 韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線上にあり、1953年7月に朝鮮戦争休戦協定が調印された場所。東西約800メートル、南北約400メートルの地域が「共同警備区域(JSA)」となっている。南側に「自由の家」や「平和の家」、北側に「統一閣」や「板門閣」などの施設がある。JSA内は当初、南北の兵士の往来が可能だったが、北朝鮮兵が米軍将校2人を殺害した76年のポプラ事件以降、警備区域が分離された。(共同)
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はんもんてん【板門店】
- 朝鮮半島中部、北緯三八度線の南側五キロメートル、開城の東方八キロメートルにある地。一九五三年朝鮮戦争の休戦会談が行なわれ、休戦協定が締結されたところ。現在も軍事休戦委員会議や南北赤十字会談などが行なわれている。パンムンジョム。
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板門店 (はんもんてん)
P`anmunjǒm
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の境をなす休戦ライン上の要地。開城から東に約10km,ソウルから北に約50km離れた非武装地帯内にある。1951年10月から朝鮮戦争の当事者である北朝鮮・中国軍と韓国・アメリカ軍(国連軍)の代表がここで休戦会談を行い,53年には休戦協定の署名が行われ,現在は両者が共同管理している。会議場の他に,北朝鮮側に板門閣,韓国側に〈自由の家〉があって,それぞれ報道関係者や観光客が訪れている。70年代以来,ここで南北会談もしばしば行われている。
執筆者:谷浦 孝雄
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知恵蔵
「板門店」の解説
板門店(パンムンジョム)
南北朝鮮の軍事境界線上に位置している。朝鮮戦争の休戦会談は、戦闘継続下の1951年7月10日、開城(ケソン)で始まったが、10月25日から板門店に移った。休戦協定の調印場は現在の板門店の会議場ではなく、少し離れた北朝鮮側にあり、保存されている。本会議場は、休戦会談のほか、南北赤十字会談の場としても使われ、南北接触の象徴的存在である。周辺は韓国映画の題名にもなった「共同警備区域(JSA)」になっている。
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板門店
はんもんてん / パンムンチョム
朝鮮半島のほぼ中央部にある北緯38度線の南方5キロメートル、開城市の東方9キロメートルの地。ソウル―新義州間の京義街道にあった一寒村で、ノルムン(板の門)リ(里)といわれた所であったが、1953年朝鮮戦争の軍事休戦協定がここで締結されてから世界的に知れわたった。現在も休戦会談所として南北朝鮮間の軍事連絡特別委員会、南北赤十字会談所になっている。
[魚 塘]
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板門店【はんもんてん】
朝鮮の休戦ライン上,ソウル北方約50kmの非武装地帯内にあり,1953年7月27日,朝鮮戦争の休戦協定が調印された所。現在は朝鮮民主主義人民共和国と米韓軍が共同管理し,南北会談などが開かれる場所になっている。観光客も訪れることができる。
→関連項目開城
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板門店(はんもんてん)
P‘anmunj&obreve;m
1951年7月に開城で開始された朝鮮休戦会談は,一時中断後,10月に開城の東方約10kmの寒村である板門店で再開された。休戦成立後,板門店は非武装地帯内に位置し,共同管理地域として南北会談などに利用されている。
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板門店
はんもんてん
Pan-mun-jeom
朝鮮半島中部,北緯38度線の近く,開城市の東方にある村
朝鮮戦争(1950〜53)の休戦会議が開かれ,停戦ラインが固定した現在は,南北の軍事的会談の窓口となっている。
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板門店
はんもんてん
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との境界の非武装中立地帯にある村
朝鮮戦争(1950〜53)の停戦協定が,1953年7月ここで調印された。
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板門店
はんもんてん
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