林てる(読み)ハヤシ テル

20世紀日本人名事典 「林てる」の解説

林 てる
ハヤシ テル

大正期の婦人運動家



生年
明治33(1900)年1月3日

没年
大正12(1923)年11月12日

出生地
静岡県沼津市

旧姓(旧名)
永倉

学歴〔年〕
東京女子大学中退

経歴
父の反対を押し切って上京し、大正7年東京女子大学に入学。在学中から婦人運動家の山川菊栄らの社会主義思想に影響を受け、学内で婦人問題研究会を組織。さらに、山川の主宰する水曜会や東京帝国大学の新人会、婦人社会主義団体の赤瀾会などにも参加した。8年山川の斡旋で友愛会系の女子労働者と接触するが、これが元で退学を余儀なくされ、婦人社会主義運動に専念することを決意。10年新人会で知り合った経済学者の林要と結婚。11年には関西に赴いて関西婦人の創立に参画し、婦人社会主義の宣揚普及に努めるが、12年に23歳で早世した。文筆にもすぐれ、生涯に書きつづった論文・日記・詩歌などが遺稿集「小さき命」に収録されている。


林 テル
ハヤシ テル

明治・大正期の修道女



生年
嘉永7年3月10日(1854年)

没年
大正9(1920)年10月16日

出身地
長崎

経歴
明治6年キリスト教に入信し、長崎の浦上教会などで信仰。27歳で長崎県紐差村に修道院愛苦会を開設した。以後伝道孤児病人救済に尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林てる」の解説

林テル はやし-テル

1854-1920 明治-大正時代の修道女。
嘉永(かえい)7年3月10日生まれ。明治6年キリスト教に入信し,長崎の浦上教会などで信仰をふかめる。27歳で故郷長崎県紐差村(ひもさしむら)田崎(平戸市)に修道院愛苦会を開設した。以後40年間信仰と勤労に徹し,伝道と孤児・病人の救済につくした。大正9年10月16日死去。67歳。愛称はセノばあさん。

林てる はやし-てる

1900-1923 大正時代の社会運動家。
明治33年生まれ。林要の妻。東京女子大在学中から山川菊栄の社会主義婦人運動の思想に傾倒する。大正11年京阪地方で「関西婦人」を組織し,女子工員たちと研究会をつくった。大正12年12月死去。24歳。遺稿集「小さき命」がある。静岡県出身。旧姓は永倉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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