栃本関所跡(読み)とちもとせきしよあと

日本歴史地名大系 「栃本関所跡」の解説

栃本関所跡
とちもとせきしよあと

[現在地名]大滝村大滝 栃本

秩父甲州往還通行人の取調べのため古大滝ふるおおたき村栃本に設けられていた関所で、荒川の刻んだ深いV字渓谷の急勾配上の要害堅固の地に立地する。栃本関跡として国指定史跡。秩父甲州往還は雁坂かりさか峠越で甲斐国に通じたが、当地で同往還から分岐する道は三国みくに峠越や十文字じゆうもんじ峠越などで信州・上州にも通じていた。創設の時期は明確でないが、戦国時代に甲斐武田氏により設立されたと伝える(風土記稿)。初め関所の番頭には山中右馬允が任じられ、山中氏は徳川家康の関東入国後に押領の罪により追放されたという(「大村家書上」大村家文書)。また享保二年(一七一七)の覚(千島家文書)によれば慶長一九年(一六一四)代官伊奈氏の見分があった際、警備のため栃本に番所の設置が命ぜられ、旧武田家家臣の大村与一郎が番頭を名主兼帯で勤めることになったという。これは栃本より奥の山山に御林や金山があり、甲斐・信濃の国境にも近いことなどによったとされる。寛永二〇年(一六四三)には、非常の警備のため甲斐国川浦かわうら(現山梨県三富村)と栃本の東約一里の麻生あそうに加番所が設置され、関所の強化が図られた。麻生加番所は古大滝村名主六郎兵衛を頭とする下納組・上中尾組・大久保組の百姓二四名が番人とされ、輪番で番所を守っていた。当関所の番頭は、大村家が廃止に至るまで一〇代にわたり世襲している(「大村家累代誌」大村家文書)正保国絵図・元禄年中改定図(風土記稿)などには栃本・麻生ともに関所と記載されているが、その後の史料では関所・番所・口留番所と不統一である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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