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栗崎道喜 くりさきどうき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

栗崎道喜
くりさきどうき

[生]弘仁9(1566).肥後,栗崎
[没]慶安4(1651)
江戸時代初期の医師。名は正元。南蛮外科栗崎流の始祖。9歳のときマカオに渡り,20年あまり滞在。その間,14歳から外科医術を学び開業,慶長の終り頃に帰国し,長崎奉行から軍用金創療法伝授の家,栗崎流を称することを許されて宅地を与えられた。

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世界大百科事典 第2版の解説

くりさきどうき【栗崎道喜】

1582‐1651(天正10‐慶安4)
江戸前期の洋方外科医。名は正元。肥後国出身。幼時長崎に移住,のち南蛮人に伴われて南蛮国(フィリピン?)に渡り外科術を修得して長崎に帰って栗崎流外科の開祖となった。長男正勝は2代道喜を名乗り越前(福井)藩に召され,四男正家(道有)が栗崎家3代を継ぎ長崎に住み,それぞれ栗崎流外科を発展させ,その門流は金創を得意とし,各藩に召されて南蛮流外科の有力な学派となった。【宗田 一

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

栗崎道喜
くりさきどうき
(1582―1651)

江戸時代の外科医、南蛮外科栗崎流の開祖。肥後国(熊本県)栗崎村の生まれ。幼名歌之助、のち正元。幼いとき乱にあい、乳母(うば)に連れられて長崎へ逃れ、さらに外国船でルソンに渡り、そこで医を志して外国人医師から外科を学び、30歳をやや過ぎてから帰国。携えて帰った洋書のすべては奉行(ぶぎょう)所に没収されたが、長崎市内に宅地を与えられ、奉行所関係者や外国人たちの診療にあたった。彼の著として伝えられている『南蛮流金創本末撰奇』のなかに、おそらく直接観察したと思われる心臓の記載があり、日本人のそれとしてはもっとも早い。道喜の孫正羽(まさゆき)(1660―1726)は幕府医官となり、吉良上野介(きらこうずけのすけ)の負傷の治療にあたった。[中川米造]

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