アゼは「あぜなわ(絡縄・糾縄)」のアゼと同じく、組み合わせる、縒り合わせるという意味の「あざう(糾・叉)」と関係があろう。「叉倉」〔新猿楽記〕、「叉庫」〔元和本下学集〕とも表記される。
木造の倉の一種。床下に束を立て,台輪を置いた上に,断面が三角の木材を横にして積みあげて壁面とし,上に敷桁を置いて寄棟造瓦ぶきの屋根を支える形式である。類似の構法の建築が中国,朝鮮,北欧,スイス,旧ソ連邦,北アメリカなど,木材が豊富な地域にみられる。日本では奈良時代には甲倉と呼ばれていた。通常,平面が正方形に近いものと,それを二つ並べ中間をつないだ双甲倉とがあった。校倉は壁面が頑丈で,雨仕舞が良く湿気を内部に通しにくいこと,また,乾燥時には壁面からの通風があるという利点から宝物倉として用いられることが多い。正倉院宝庫(双甲倉),唐招提寺宝蔵(甲倉)が奈良時代に建てられた代表的な遺構である。
執筆者:鈴木 充
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壁面が校木(あぜき)で井籠(せいろう)組に積み上げられた倉。一般に高床(たかゆか)とする。校木は三角材または角材の角を平らに削り落として積まれる。古くは甲倉、格倉、叉倉とも記される。正倉院宝庫、唐招提寺(とうしょうだいじ)経蔵・宝蔵など奈良時代の校倉は、正面と側面の校木が段違いに組まれるが、高野山金剛三昧院(さんまいいん)経蔵(鎌倉時代)や厳島(いつくしま)神社宝蔵(室町時代)など中世以降の校倉には、校木が稜(りょう)を各面そろえて組まれるものも現れ、さらに日光東照宮神庫のように江戸時代の校倉では、校木と柱を併用するものもみられる。校木のかわりに丸太材や板材を積み上げた倉は、それぞれ丸木倉、板倉とよばれる。現在、校倉は宝蔵や経蔵として社寺などに残されているが、奈良時代には中央官庁をはじめ国・郡の地方官庁でも、丸木倉や板倉に比べて数は少なく、穀倉として建てられている。なお、校木が乾湿に従って伸縮し、校倉内部の湿度を調節するという俗説は誤りである。
[工藤圭章]
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断面三角形の横長の部材を井桁に組み重ねたものを壁体とした倉。叉倉(あぜくら)とも記し,古くは甲倉とも称した。板校倉のように,部材の断面が三角形以外でも同一構造のものにはこの名称を用いる場合がある。正倉院,唐招提寺宝蔵・経蔵,東大寺本坊経庫などの遺構があり,古代寺院には数多く建築されたと推定される。古代寺院の遺構はすべて高床で,校木断面を二等辺三角形の頂点に面をとった形とし,三角形の底辺が内側になるようにくまれている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…〈庫〉とも書かれる。構造の違いから高倉,板倉,校倉(あぜくら),丸木倉,石倉,土蔵(どぞう),穴蔵などがあり,管理や用途によって正倉,勅封蔵,郷蔵,米蔵,酒蔵,木蔵など,さまざまな名称がある。16世紀後半以降,防火のため,外側を土で厚く塗り込める形式が多く用いられるようになった。…
…穀物を収納する倉。日本の場合,土蔵,校倉(あぜくら),蒸籠(せいろう)倉,板倉,石倉,高倉など種々ある。木材を組み積んだ校倉,蒸籠倉は八ヶ岳山麓山浦地方にあったし,かつて中部山岳地方に広く分布していた。…
…同日,別に香薬類60種を21個の櫃(ひつ)に納めて献納し,ついで同年7月26日欧陽詢の真跡屛風や花氈(かせん)(文様のある毛氈(もうせん))その他,758年(天平宝字2)6月1日王羲之・王献之父子の真跡,同年10月1日皇太后の亡父藤原不比等の真跡屛風を献納した(《東大寺献物帳》)。これら献納の宝物は献納後まもなく東大寺正倉院内の一倉,すなわち現存の校倉(あぜくら)の北倉(この校倉は南北に長く東面して建てられ,正面に向かって右から北倉,中倉,南倉の3倉に仕切られている)に納められた。北倉の宝物は朝廷の監督下に置かれ,宝物の出蔵には勅許を必要としたから,その意味で北倉は最初から勅封の倉であった。…
※「校倉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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