江戸時代,京都西郊の桂の地に住み,特徴ある白布の被物(かずきもの)を頭に巻き,年頭八朔には天皇・公家・京都所司代をはじめ富豪・有力諸家に出入りし,婚礼・出産・家督相続などのさいに祝言を述べた桂女は,古くさかのぼると平安後期,桂供御人として天皇に桂川の鮎を貢献した鵜飼い集団の女性たちであった。鎌倉時代には鮎を入れた桶を頭上にいただく鮎売りの女商人であったが,生業の鵜飼いが衰える室町時代には鮎鮨,酒樽,勝栗などを持ち,畿内を中心に広く各地の公家・寺院・大名の間を遍歴する一種の遊女として姿を現す。そのころまでには,祖先岩田姫が神功皇后に腹帯を献じ,それを被物にしたという伝説も成立し,女系相続も確立していたとみられる。勝栗を献ずる〈勝浦女〉は縁起のよい女性として戦国大名をはじめ豊臣秀吉,徳川家康の軍陣にはべり,江戸幕府の保護をうけて,江戸時代を通じ,庶民の祝事に当たっても祝詞を述べるなど,その職能に即した活動をするとともに,江戸後期には桂飴を製し,飴売りをその一つの生業とするようになった。
執筆者:網野 善彦
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京都市西郊の大堰川(おおいがわ)の末流の桂の里(現京都市西京区桂)から、京の町々へ鮎(あゆ)やうるか(鮎の腸)や飴(あめ)を売り歩いた女たち。頭を白布で巻いた桂包(かつらづつみ)の風俗で、中近世期にはよく知られていた。桂女の家は代々の女子相続で、古く平安・鎌倉時代に神功(じんぐう)皇后を祀(まつ)る京都伏見(ふしみ)の御香宮(ごこうのみや)の散所(さんじょ)に身を寄せた。もともと正月と八朔(はっさく)に京の貴人邸に伺候して鮎と飴を献上する風習が、売り歩く姿に変わったもので、ほかに神功皇后に従軍したという伝説をもち、中世には武士の家にも出入りし、戦勝祈願などの巫女(みこ)の役も行っている。御陣女中とよばれ戦陣にも参加して慰安婦を兼ねたらしい。また、武家の婚礼に、花嫁に付き添う慣習もあり、出産時には安産を祝い、子供の成長を助ける呪力(じゅりょく)も備えていた、と伝える。
[渡邊昭五]
京都市西京区桂に住んだ鵜飼で鮎売りの女商人。鎌倉時代,天皇に桂川の鮎の貢納をした桂供御人(くごにん)として,畿内諸国を遍歴して鮎売りの交易に携わった。室町時代以降は,勝栗や酒樽を持参して畿内周辺の権門を訪問し,酒宴の席に侍る巫女的な遊女として知られるようになった。この時期の桂女は女系相続をし,白布を頭に巻きあげた独特の桂包(かつらづつみ)で知られ,その風俗は妊婦の岩田帯や,出産・婚礼の際の綿帽子の起源としても説明される。
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