江戸時代の婦女子が用いた被り物の一種。この名が見られるのは足利義政の歌で,〈われながらけさはするがの富士のねに綿ぼうしともなれる雲かな〉(《古今沿革考》巻九)と詠まれており,中世上流婦女子の〈小袖被衣(かずき)〉から変化したものと思われる。被衣は野外を歩くとき,頭からすっぽりと小袖をかぶって顔を隠すために用いたもので,女子のみでなく男子も寒涼の際にはこの姿をして外出したが,綿帽子にも被衣と同様の意味が含まれている。ひたい綿,かつぎ綿,揚(あげ)帽子などの名があり,帽子の呼称は,かぶる状態が中世の男子の被り物烏帽子(えぼし)のように,練絹でつくられたものを折り曲げてかぶったことなどによる。近世になり女髷(おんなまげ)が結われるようになると,髷のちり除けとして,真綿を木型で伸ばし髷にかけて用いるようになり,嫁入りの際,文金高島田の髷と花嫁の顔も隠す形式に変化した。近代では白の羽二重に裏は紅のものを用いたが,現在は表裏とも白の羽二重を用い,形も大きくなった。
執筆者:橋本 澄子
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女子の被(かぶ)り物の一種。真綿を平らに伸ばしてつくったもので、初めは防寒具として用いた。その製法は真綿を引き伸ばして、その上に薄い粥(かゆ)の粘液をまき散らし、その上に麻布を当てて、火熨斗(ひのし)で乾かす。真綿は、白のほかに紅、桃色、浅葱(あさぎ)などに染めたものも使われた。また、安価なものは、真綿のかわりに木綿綿を用いた。綿帽子の形態には、丸綿(まるわた)、船底綿、古今綿(こきんわた)、促綿(うなぎわた)の4種類がある。丸綿は、クラゲのような形をしたもので、綿帽子でいちばん古く、婚礼用として江戸時代から用いられ、上方(かみがた)(関西)では老人用の被り物でもあった。船底綿は、細長い船のような形をしたもので、17世紀の後半、つまり延宝(えんぽう)年間(1673~81)より流行したが、18世紀の前半には廃れた。一方、古今綿は、頭から頬(ほお)を包んだところから頬包みともいわれ、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の絵によくみられる。促綿は、火の玉のような形をしたもので、老婆が頭上にのせ、その上から手拭(てぬぐい)で風に飛ばされないようにあごの下で結んでいる図柄が多い。この帽子は3代将軍家光(いえみつ)以降に多く用いられた。
[遠藤 武]
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… 一方,布で頭を包む古くからの習風は,江戸時代に入ると,女子の被り物としての各種の帽子を生み出した。その代表的なものとしては,揚帽子,角帽子,野郎帽子,綿帽子がある。揚帽子は表は白,裏は紅絹の袷仕立てで,俗に白鷺と呼ばれた。…
…第1は頭をおおうことである。葬式に〈かつぎ〉や,綿帽子や,きれでつくった〈おかざき〉(北陸地方)や,〈ふなぞこ〉(四国)または一片の白布をかぶり,白紙を三角に折ったものを額にあてることなどがそれである。婚礼にもかぶり物が重要視され,花嫁の角隠しは最も新しく,現代も用いられているが,それ以前に綿帽子や〈おかざき〉〈ふなぞこ〉〈かつぎ〉などがあって,かぶり方をやや変えるだけで,吉事にも凶事にも共用する。…
※「綿帽子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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