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桑山玉洲 くわやま ぎょくしゅう

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美術人名辞典の解説

桑山玉洲

江戸後期の画家。南紀生。字は明夫・子残、左内と称する。玉洲は号、別号に鶴跡園・珂雪堂等。桜井雪館柳沢淇園に南画を学ぶ。野呂介石の師でもあった。寛政11年(1799)歿、54才。

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デジタル大辞泉の解説

くわやま‐ぎょくしゅう〔くはやまギヨクシウ〕【桑山玉洲】

[1746~1799]江戸中期の文人画家。紀伊の人。初め沈南蘋(しんなんぴん)の写生画を独学、のち池大雅南画を学んで独自の描線を用いた山水画を描いた。すぐれた画論家としても知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桑山玉洲 くわやま-ぎょくしゅう

1746-1799 江戸時代中期-後期の画家。
延享3年生まれ。沈南蘋(しん-なんぴん)の影響をうけたが,池大雅(いけの-たいが)らにまなび,山水花鳥画をえがく。「玉洲画趣」「絵事鄙言(かいじひげん)」などの画論でも知られる。寛政11年4月13日死去。54歳。紀伊(きい)和歌浦(和歌山県)出身。名は嗣燦(しさん)。字(あざな)は明夫。通称は左内。別号に寉麓など。作品に「若浦図巻」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

桑山玉洲

没年:寛政11.4.13(1799.5.17)
生年:延享3(1746)
江戸中期の南画家。名は嗣幹,のち嗣燦(嗣粲)。通称茂平次,のち左内。字は明夫。玉洲,珂雪堂などと号した。紀州和歌浦(和歌山市)の人。家業の廻船業を継ぐ。明和年間(1764~72),開墾事業に従事して地主となる。幼年より古書画を好み,同郷の野呂介石と交友。明和~安永のころ,江戸に遊学。はじめは南蘋系統の花鳥画を描いていたが,安永年間(1772~81),京坂で池大雅,高芙蓉,細合半斎,木村蒹葭堂などと交わり,南画を志す。遺作には南蘋系の花鳥画と南画山水とがあり,柔らかい筆線と濃い色彩に特色がある。『玉洲画趣』『絵事鄙言』を著し,後者で「近衛公(信尹あるいは家煕),惺々翁(松花堂昭乗),宗達,光琳ナトハ本朝ノ南宗トモ云ハンカ」と述べるなど,独自の日本南画論を展開。真景図の重要性を主張する点とあわせて,大雅の影響と考えられる。自らも「若浦図巻」「明光浦十覧冊」(いずれも個人蔵),「那智山・橋柱巌図屏風」(和歌山・念誓寺蔵)など,真景図に秀作を残す。

(武田光一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

くわやまぎょくしゅう【桑山玉洲】

1746‐99(延享3‐寛政11)
江戸中期の文人画家。和歌山の人。名は嗣燦(しさん),字は明夫。海運業を営む豪家桑山昌澄の子として生まれ,家業を継ぐが,やがて農業に転向,前半生は開墾事業に従事する。やがて画事に力を入れ,後半生においては《玉洲画趣》や《絵事鄙言(かいじひげん)》などすぐれた画論を著す一方,作画の面でも充実した時期を迎える。玉洲ははじめ沈南蘋の写生画風を独学で学んでいたが,後に池大雅にも師事し,大雅から後期文人画へと移行するいわば過渡的な存在といえる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桑山玉洲
くわやまぎょくしゅう

[生]延享3(1746).紀州,和歌浦
[没]寛政11(1799).4.13. 紀州,和歌浦
江戸時代後期の南画家。幼名は新太郎,通称は茂平治のち左内。名は政近ほか。字は白瑞,明夫。号は玉洲,明光居士など。桑嗣燦 (そうしさん) ともいう。幼少より古書画に親しんで独学,京都,大坂に出て池大雅,高芙蓉,木村蒹葭堂らと交わる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桑山玉洲
くわやまぎょくしゅう
(1746―1799)

江戸中期の南画家。名は初め文爵、継昇などといい、のち嗣幹、嗣粲(しさん)、嗣燦(しさん)と改めた。通称は茂平治(次)、のちに左内(さない)、字(あざな)は明夫(めいふ)など。玉洲のほかに明光居士(こじ)など数多くの号をもつ。紀州(和歌山県)和歌浦の郷士で海運業を営む家に生まれる。20代の初めには、江戸で長崎派風の濃彩花鳥画を身につけたが、27歳ごろには南画に傾倒し、池大雅(いけのたいが)や木村蒹葭堂(けんかどう)、高芙蓉(こうふよう)と交わる。大雅の影響を受けて著された二つの画論『玉洲画趣』『絵事鄙言(ひげん)』は他の観念的な南画論とは一線を画する優れたもので、玉洲は画家としてよりもこの2著をもって南画史上に異彩を放っている。[星野 鈴]

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