日本大百科全書(ニッポニカ) 「高芙蓉」の意味・わかりやすい解説
高芙蓉
こうふよう
(1722―1784)
江戸中期の儒者、篆刻(てんこく)家。享保(きょうほう)7年3月15日、甲斐(かい)(山梨県)高梨に医師の子として生まれ、高氏の称はこの地名に、芙蓉の号は幼時に見慣れた富士山(芙蓉峰)にちなむといわれるが、以上は天明(てんめい)6年(1786)年紀のある墓碑銘を典拠としたもので、高梨の地名は過去にも現在にも存在しない。名は孟彪(もうひゅう)、字(あざな)は孺皮(じゅひ)。中岳画史、三岳道者などの別号がある。本姓は源、大島氏。通称は逸記といったが、しばしば姓名を変えた。20歳のころ京に出て儒学を学び、池大雅(いけのたいが)ら文人墨客と交わる。詩文書画に優れた才を示したほか、有職故実(ゆうそくこじつ)に通じ、説文(せつもん)や音韻の学にも造詣(ぞうけい)が深かったが、ことに篆刻に長じた。当時流行の低俗な明清(みんしん)風を退け、遠く秦漢(しんかん)の古印を手本に、格調高い作風を打ち出し、「印聖」とよばれる。天明(てんめい)4年3月、仕官のため江戸へ下ったが、到着後ほどない4月24日(26日とも)63歳で没した。
[松原 茂]