森喜朗内閣(読み)もりよしろうないかく

百科事典マイペディアの解説

森喜朗内閣【もりよしろうないかく】

小渕恵三内閣の総辞職をうけて2000年4月5日発足。自由民主党公明党保守党の連立政権で,前内閣の全閣僚が再任し,政策面では景気対策の重視など小渕政権の方針を引き継いだ。同年6月の総選挙で連立3党はすべて議席を減らしたが,3党で安定多数を確保し森喜朗首相の第2次内閣が7月4日発足。同月の沖縄サミット後に〈日本型IT社会〉などを提言。しかし同年10月までに不祥事により2閣僚が辞任するなどで,内閣支持率は急落し,年末に2001年1月の省庁再編をにらんで内閣を改造したが,KSD汚職問題,米原潜事故への不適切な対応などの影響で内閣支持率は戦後2番目の低水準に陥り,2001年総辞職。
→関連項目小泉純一郎小泉純一郎内閣

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

森喜朗内閣
もりよしろうないかく

(2000.4.5~2001.4.26 平成12~13)
自由民主党の森喜朗を首班として、2000年(平成12)4月に成立した自由民主党、公明党、保守党の連立内閣。4月2日に小渕恵三(おぶちけいぞう)首相が脳梗塞(のうこうそく)で緊急入院して職務執行不能となったため小渕内閣は総辞職した。これを受け自民党は後継総裁に幹事長の森喜朗を選んだが、その選出過程が有力議員の密室での談合ではないかとの批判を浴びた。4月5日に国会で指名を受けて首相に就任し、前内閣の閣僚を全員留任させて内閣を発足させた。所信表明演説で森首相は、小渕内閣の政策の継承を表明し、「日本経済の本格的再生」「九州・沖縄サミットの成功」「人間性回復を目ざす教育改革」などを政策の基本として掲げた。同年6月の総選挙では改選議席を下回ったが、特別国会で首相に指名され第二次内閣を発足させた。10月27日官房長官に任命した中川秀直が女性問題などで辞任、後任に福田康夫が任命された。2001年2月10日、ハワイ沖で日本の水産高校の練習船えひめ丸がアメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突されて沈没し、高校生9人が死亡する「えひめ丸事件」が起こったが、ゴルフ中であった森首相はプレーを続けたため危機管理意識上、問題であると非難された。以前からの失言などと相まって内閣支持率が急激に低下し、4月26日首相を辞任し内閣は総辞職した。

[伊藤 悟]

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