日本大百科全書(ニッポニカ) 「森喜朗内閣」の意味・わかりやすい解説
森喜朗内閣
もりよしろうないかく
(2000.4.5~2001.4.26 平成12~13)
自由民主党の森喜朗を首班として、2000年(平成12)4月に成立した自由民主党、公明党、保守党の連立内閣。4月2日に小渕恵三(おぶちけいぞう)首相が脳梗塞(のうこうそく)で緊急入院して職務執行不能となったため小渕内閣は総辞職した。これを受け自民党は後継総裁に幹事長の森喜朗を選んだが、その選出過程が有力議員の密室での談合ではないかとの批判を浴びた。4月5日に国会で指名を受けて首相に就任し、前内閣の閣僚を全員留任させて内閣を発足させた。所信表明演説で森首相は、小渕内閣の政策の継承を表明し、「日本経済の本格的再生」「九州・沖縄サミットの成功」「人間性回復を目ざす教育改革」などを政策の基本として掲げた。同年6月の総選挙では改選議席を下回ったが、特別国会で首相に指名され第二次内閣を発足させた。10月27日官房長官に任命した中川秀直が女性問題などで辞任、後任に福田康夫が任命された。2001年2月10日、ハワイ沖で日本の水産高校の練習船えひめ丸がアメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突されて沈没し、高校生9人が死亡する「えひめ丸事件」が起こったが、ゴルフ中であった森首相はプレーを続けたため危機管理意識上、問題であると非難された。以前からの失言などと相まって内閣支持率が急激に低下し、4月26日首相を辞任し内閣は総辞職した。
[伊藤 悟]