政治家。東京都生まれ。父は首相を務めた福田赳夫(たけお)。1959年(昭和34)早稲田(わせだ)大学政治経済学部経済学科卒業後、丸善石油(現コスモ石油)に勤め、1976年11月、福田赳夫の秘書となるために退社、翌1977年には首相秘書官(~1978)となる。1990年(平成2)2月の衆議院議員選挙に父の後継者として旧群馬3区から立候補し初当選。自由民主党(自民党)に所属。その後、小選挙区制の導入により群馬4区に移り、初当選以降連続6回当選。1995年8月、村山富市(とみいち)内閣の外務政務次官に就任、1997年9月には自民党副幹事長となる。2000年(平成12)10月、第一次森喜朗(よしろう)内閣の官房長官として初入閣。2004年5月まで3年半余り森内閣・小泉純一郎内閣の2代にわたる官房長官を務めた。
2007年7月の参議院議員選挙で自民党が歴史的敗北を喫し、安倍晋三(あべしんぞう)自民党総裁が突然辞意を表明すると、総裁選挙に出馬し22代自民党総裁に就任、第91代内閣総理大臣となった。親子2代の首相就任は日本の憲政史上初。テロ対策特別措置法に基づくインド洋での海上自衛隊による給油活動の継続が最大の課題で、新法成立による活動継続を目ざして民主党などとの協議を呼びかけたが不調に終わった。結局、新法にあたる補給支援特別措置法は、2008年1月、参議院での否決後、衆議院で再議決され与党3分の2以上の賛成で可決、成立した。外交面では2007年11月、最初の訪問国としてアメリカを選択し、アメリカ大統領ブッシュと首脳会談を行った。2008年6月の通常国会終盤では首相問責決議案が参議院本会議で可決された。これは戦後初のことである。翌日の衆議院本会議で内閣信任決議案が可決され、福田内閣は継続されたが求心力の低下を招くこととなった。7月には北海道洞爺湖(とうやこ)サミットの議長国を務め、その後8月には内閣改造を行い、改造内閣を「安心実現内閣」と命名した。しかし内閣支持率は上昇せず、結局解散総選挙に踏み切れないまま9月1日に辞任を表明し、9月24日内閣総辞職した。
[伊藤 悟]
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