政治家。神奈川県生まれ。1967年(昭和42)慶応義塾大学経済学部卒業。大学卒業後、ロンドン大学に留学していたが、1969年元防衛庁長官の父小泉純也(1904―1969)の急死に伴い帰国し、総選挙に出馬したが落選。その後、福田赳夫(たけお)元首相の秘書となり、1972年の総選挙で旧神奈川2区から立候補、初当選した。自由民主党(自民党)に所属。祖父の小泉又次郎(1865―1951)は浜口雄幸(おさち)内閣、若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣で逓信大臣を歴任している。1988年、竹下登内閣で厚生大臣として初入閣、以後、厚生大臣、郵政大臣を歴任した。1995年(平成7)、1998年の二度、自民党総裁選に立候補したが敗れ、三度目となる2001年(平成13)4月の自民党総裁選で派閥主導による政治を批判して広く党員の支持を得、第20代総裁に選出された。同月、第87代内閣総理大臣に就任。郵政事業民営化と首相公選制を持論とした。2002年9月には、日本の首相として初めて北朝鮮を訪問し、最高指導者である総書記金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)と会談、日朝の国交正常化交渉を進めることなどを内容とする日朝平壌(ピョンヤン)宣言に署名した。なお、首脳会談に先だち、日本人拉致事件(らちじけん)について、北朝鮮によって拉致された日本人の生死に関する情報が提示されている(事件被害者のうち5人が2002年10月に帰国した)。2003年11月首相に再選され、同月第二次小泉内閣を発足させた。2004年5月にふたたび訪朝、金正日との会談で日朝双方が日朝平壌宣言を履行することなどを確認、このとき拉致被害者の家族8人のうちの5人の日本帰国を実現させた(2004年7月には残りの3人が帰国・来日)。郵政事業の民営化については、2007年からの実施を目ざし、2005年7月に郵政民営化関連法案を国会に提出したが、同年8月参議院で自民党反対派の造反により否決され、これを受けて衆議院を即日解散。選挙戦で郵政民営化を最大の争点に掲げ、造反議員の選挙区に民営化賛成の対立候補(いわゆる「刺客(しかく)」)を擁立するなど「小泉劇場」ともよばれた選挙活動を展開し、衆院選での自民党圧勝を導いた。この選挙で初当選した自民党の新人議員は83名にのぼり「小泉チルドレン」とよばれた。選挙後は郵政民営化法案の早期成立のため全閣僚再任で第三次小泉内閣を組閣、第89代内閣総理大臣に就任した。10月郵政民営化関連法成立後、第三次小泉改造内閣が発足。「小泉路線の後継者(いわゆるポスト小泉)」の有力候補を要所に配した「改革続行内閣」を組閣した。新内閣には幹事長代理であった安倍晋三(あべしんぞう)、衆院初当選の猪口邦子(いのぐちくにこ)(1952― )ら7名が初入閣した。2006年8月15日には靖国神社を参拝。現職の首相が終戦記念日に参拝をするのは、1985年の中曽根康弘以来のことであった。2006年9月26日任期満了により退任、5年5か月にわたる長期政権であった。
[編集部]
『窪田明著『検証・小泉政治改革――近代日本政治発展史における小泉内閣の地位』(2004・碧天舎)』▽『秋山和宏著『小泉内閣検証』(2005・三和書籍)』▽『清水真人著『官邸主導――小泉純一郎の革命』(2005・日本経済新聞社)』▽『永野芳宣著『小泉純一郎と原敬――構造改革を歴史に学ぶ』(中公新書ラクレ)』
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