人寄せで多くの膳椀が入用の場合,その数を頼むと貸してくれるという沼や淵の話。全国的に分布がみられる。膳椀だけではなく,家具や金銭を貸したというところもある。しかし不注意から破損したり,心がけの悪い者が数をごまかして返したので,その後は貸さなくなったという。品物の用意される場所は沼や淵のほか,池,塚,山,洞穴,祠などである。具体的な貸主をいわないところもあるが,竜神,蛇,乙姫(おとひめ)など水神の表象といえるものが多い。人々はかつて,水底や洞の奥,川上などに富貴な仙境を想定し,そこからの豊かな物資の恩恵を望んでいた。この伝説では,人間の不心得からその恩恵が停止されるが,異郷から宝を与えられた正直者が欲心をおこしたために宝を失う,という例は他にも多い。これらの話には,美しさや慈愛だけでなく,潔癖性,厳しさをもつ異郷の姿が描かれている。また,この種の話には,旧家の盛衰がしばしばかかわっている。新潟県古志(こし)郡下の旧家では,隣接する池の主から椀や布団を借りていたが,ある時,常に品物の脇に置いてあるへそのようなものを紛失し,これをつけずに返済した。それ以後,何も貸してもらえなくなって家運も傾いたという。また,今なお返さずに手元に置いた椀を家宝としている家もある。この背景には,寄合に備えて多数の椀を常備しておくのを旧家の誇りとする意識がうかがわれる。この伝説は,ムラが共同体として成熟し,祭り,節供,寄合など,共同飲食の機会をもった行事を行うようになったことを背景に成立したと考えられる。
執筆者:粂 智子
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