ある地域に生えている植物の種の全体を植物相(フロラ)floraというが,植物相を構成する種は地域によって異なっている。隣接する地域ごとに植物相を比較してみると,構成種の違いがとくに目立つ場合がある。このように,隣接する地域で植物相の構成要素が大きく異なっている場合,そこにフロラの滝が存在するという表現をすることがある。地域による植物相の類似の程度によってまとめていくと,フロラの滝の顕著なところを境界にして,植物の分布の様子を地域ごとに区分することができる。このように地球上を植物の分布によって区分していく研究分野を区系地理学といい,植物地理学の基礎的な分科の一つである。区系地理学ではふつう地球上を植物区系界kingdom,区系区region,地方provinceの階級に分類するが,その方法には約束はなく,分類法も学者によって異なっている。
現在広く認められている植物区系の方法では,地球上を次のように六つの区系界に区分する。
(1)全北植物区系界holarctic floral kingdom(boreal floral kingdom) 動物地理区の全北区にほぼ相当し,熱帯を除くユーラシア大陸,北アメリカ大陸と北アフリカを含む。八つの区系区に区分されるが,そのうちには日華植物区系区Sino-Japanese regionも含まれる。
(2)旧熱帯植物区系界palaeotropical floral kingdom 旧世界の熱帯から南太平洋までの地域を含み,動物地理区の旧熱帯区と西の方は同じであるが,動物の場合ウォーレス線でくぎられてニューギニアなどが旧熱帯区から外されているなど,東の方では大きく異なっている。熱帯多雨林とサバンナが特徴的で,フタバガキ科やタコノキ科のような特産科がある。アフリカ,インド・マレーシア,ポリネシアの三つに亜区分され,約15の区系区が認められる。
(3)新熱帯植物区系界neotropical floral kingdom メキシコ以南の新世界でパタゴニアなど一部を除いた全域を含み,動物地理区の新界とはカリブ海地方の取扱いで異なっている。低地は熱帯的で旧熱帯と同じようにヤシ科,サトイモ科,ショウガ科やシダ植物が多い。一方,ステップにはサボテン科や木生の単子葉類のリュウゼツラン属,イトラン属などがある。
(4)オーストラリア植物区系界Australian floral kingdom オーストラリア大陸(タスマニアを含む)に限定するか,ニュージーランドを含めるかについては結論が出ていない。動物地理区のオーストラリア区とは,ニューギニアなどを含めないことではっきりと違っている。固有種は1万種に近く,ユーカリ,ヤマモガシ科,ナンキョクブナなど特徴的で著名な植物も多い。
(5)ケープ植物区系界Cape floral kingdom(South African floral kingdom) アフリカ南端のケープタウン周辺のごく狭い地域で,ケープ区系区だけを含む。動物地理区では旧熱帯区のエチオピア亜区の一部とされる。エリカ属が分化しているほか,ヤマモガシ科の植物が多く,トウダイグサ科,ロカイ,マツバギク類などの多肉植物が多いなど,狭い地域ではあるが特徴的な植物相をもっている。
(6)南極植物区系界Antarctic floral kingdom 南アメリカ南端のパタゴニア,フォークランド諸島,大西洋,インド洋の南方に散在する諸島,南極大陸を含み,ニュージーランドをここに加えるかどうかについては議論がある。動物地理区では南界の一部とし,とくにこの地域を区別することはない。高等植物の種数は200に達せず,その3分の1はイネ科,カヤツリグサ科である。
植物と動物で区系地理上の差が生じるのは,両者の習性・生活様式の差や分布域の拡大法,それに関連する生殖の様式の違いによるほか,生活様式の差から環境の影響の受け方も異なっていることなどによる。区系地理学が進んでくると,それぞれの地域に存在している植物相がどのような過程を経て成立してきたかを後づける研究が盛んになってくるので,区系上の区分としてはもっと小さい単位に着目されることが多くなってくる。たとえば,日華区系の植物相を理解するためには,ヒマラヤから中国・日本の植物の比較研究がますます必要になってくるし,日本の植物相それ自体でも地域によるまとまりを示していることがあり,その解析が必要となってくる。日本列島についていえば,日本海要素の分化や,ソハヤキ要素の植物種の研究が,日本の植物相の成立の歴史を知る上では不可欠のことであろう。ただし,区系地理上の区分がだんだん小さな単位となってくると,生態分布との境界があいまいになってくる。区系地理上の日本海要素と生態分布上の多雪地帯の植物の区別などがその例で,この場合区系としての認識と地理上の区分のいずれをとるかについては,人間の側からの認識は後者によるが,植物の側からいえばむしろ前者の方が意味があるということなのかもしれない。いずれにしても,区系が認識され,その成立史が研究される場合には,地域だけが問題になるのではなくて,そこに生育する種についての全生物学的問題が関与してくることはいうまでもない。
執筆者:岩槻 邦男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界各地の植物相を分布的な特性をもとに分けた地域をいう。地球上の植物は長い地質時代を通して発生し、能力に応じて分散し、さらに地殻の変動によって隔離されたりしながら、地域特有の植物相を構成している。一般に隔離の歴史が古く、互いに距離が隔たっている地域ほど固有の種が多く、植物相の独立性が高い。
[奥田重俊]
世界の植物区系は区系界のレベルで、全北、旧熱帯、新熱帯、オーストラリア、ケープおよび南極の6区系界に分けるのが一般的である。それぞれの区系界はさらに亜界、区系区などに細分される。
(1)全北区系界 北半球の新旧両大陸にまたがり、第三紀に北極周辺に発達した植物に起源する種が多いが、寒帯の植物もかなり含まれる。マツ、モミ、サクラ、カエデ、ユリの各属などに固有種が多い。
(2)旧熱帯区系界 ケープ地方を除くアフリカ、ヒマラヤ以南のアジア、ニューギニアおよび太平洋の諸島にわたる、熱帯および亜熱帯地域で、地球上でもっとも種類の豊富な所である。ヤシ、サトイモ、コショウ、ガガイモの各科は属レベルで特徴的であり、フタバガキ科、タコノキ科が特産である。
(3)新熱帯区系界 中南米の熱帯地域で、サボテン、パイナップル、カンナ、マルピギアの各科、およびフクシア、リュウゼツラン、ユッカの各属が固有である。
(4)オーストラリア区系界 オーストラリアは固有種が多く、全フロラ(植物相)の75%が固有といわれている。ヤマモガシ科、アカシア属、ユーカリ属、フクロユキノシタ科など、特徴的な種が分化している。
(5)ケープ区系界 アフリカ南端のケープ地方だけという小地域で、エリカ属、アヤメ科、ヤマモガシ科に固有種が多い。また、マツバボタン類の多肉植物の分化が著しい。
(6)南極区系界 南米のパタゴニア地方とニュージーランドおよび南極大陸にわたる地域で、イネ科、カヤツリグサ科に固有種が多い。ノトファグス属、ヘーベ属なども固有である。
なお、(1)を全北区系界群、(2)(3)をまとめて熱帯区系界群、(4)(5)(6)をまとめて全南区系界群として、さらに大きな単位とすることもある。
[奥田重俊]
わが国の植物区系は、旧熱帯区系界に属する南西諸島と小笠原(おがさわら)諸島を除けば、全北区系界の日華区系区に含められる。その範囲は日本列島、中国大陸、ミャンマー(ビルマ)北部、ヒマラヤ山地を経てアフガニスタン東部に及んでいる。この地域は過去において氷河の影響が少なく、温暖多雨な気候条件下にあるため、おもに温帯性の落葉樹林を本拠とする植物が生育している。カツラ、フサザクラ、ヤマグルマ、キブシ、トチュウの各科が固有である。モクレン、サクラ、アジサイ、ツツジなどの種類が多く、またイチョウ、スギ、メタセコイア属など、古い形質をもつ裸子植物のあることで有名である。
日本列島は、水平的にも垂直的にも変化に富み、アオキ属、アケビ属、ホトトギス属、ギボウシ属、ヤブラン属、キレンゲショウマ属など多数の固有属に恵まれている。日本列島の地方的植物区系は前川文夫(ふみお)によれば次のように区分される。
(1)えぞ‐むつ地域 渡島(おしま)半島を除く北海道全域と北上(きたかみ)高地。トドマツ、アカエゾマツ、ミヤマハンモドキなどが固有種。
(2)日本海地域 日本海側の多雪地。トガクシショウマ、サンカヨウ、トキワイカリソウ、キャラボク、アクシバなどが固有種。
(3)関東地域 東北から関東地方の太平洋側。シバヤナギ、アブラツツジ、ミミガタテンナンショウなどが固有種。
(4)フォッサマグナ地域 富士箱根伊豆および伊豆七島までの富士火山帯。ハコネコメツツジ、ハコネウツギ、オトメアオイ、カナウツギなどが固有種。
(5)ソハヤキ地域 紀伊、四国、九州の太平洋側。キレンゲショウマ、バイカアマチャ、センダイソウ、トガサワラなど、多くの固有種がある。
(6)美濃(みの)‐三河地域 静岡県西部から愛知県、岐阜県東部。ホソバシャクナゲ、ハナノキ、エンシュウハグマ、シデコブシなどが固有種。
(7)阿哲(あてつ)地域 岡山県西部と広島県東部。キビヒトリシズカ、アテツマンサク、ヤマトレンギョウなどが固有種。石灰岩地生の植物が多い。
(8)小笠原地域 ポリネシア区系の北端にあたり、木本植物では67%が固有種といわれている。モチノキ属、トベラ属、シロテツ属、ワダンノキ、オガサワラツツジなどがよく知られる固有種。
(9)琉球(りゅうきゅう)地域 奄美(あまみ)大島以南の南西諸島。熱帯性の植物が多い。リュウキュウマツ、オキナワウラジロガシ、ヘツカリンドウ、ソテツ、ヤエヤマスズコウジュなどはこの地域を中心に分化してきたと考えられている。
[奥田重俊]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…胞子の飛散によって分布域の拡大を行っている植物群の分布は,種子植物の場合と必ずしも一致するとはかぎらないが,種子植物以外の植物群の分布をおもな資料として,地球上における植物の分布について詳細な比較がなされることはむしろ珍しい。 動物地理区に対比させて,地球上の植物の分布区系を全北植物区系界,旧熱帯植物区系界,新熱帯植物区系界,オーストラリア植物区系界,ケープ植物区系界,南極植物区系界に六大別しようとする意見が古くからあったが,最近では,グッドR.Goodの区分を基本とする37の植物区系を設定して,地球上の植物分布を整理しようという傾向が強い。これによると,日本列島の大部分は中国からヒマラヤにかけての地域と共通で,日華植物区系区Sino‐Japanese regionとなり,北は南サハリンから南千島までを含むことになる。…
…各地の生物相の特徴を基にした地理的区分。動物,植物,さらにその分類群によって多少異なり,一般に動物の場合は動物地理区,植物の場合は植物区系と呼ばれる。古典的には分類学に基づき分類地理学的な区分がなされたが,近年では生態学的要素も考慮されるようになってきた。…
※「植物区系」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新