植物の病気についてその症状、原因を明らかにし、それを防ぐ原理や方法を研究する科学で、人間の医学に相当する。一部では植物病理学は医学の病理学と対応させ、病気の原因、病植物の形態的・生理的変化を追究する分野に限定し、医学全体に相当することばとして、植物病学または植物医学を用いるべきであると主張する学者もある。しかしながら、国際的にもplant pathologyまたはphytopathologyが一般的であり、これに対応して植物病理学が広く用いられているのが現状である。元来、植物病理学は、農林業の生産を高めるため、農作物や林木の病気による被害(病害)をどのようにすれば防ぐことができるかを追究する学問として、農学の一分野として発達してきた。したがって、対象とする植物によって作物病理学(食用作物病学、果樹病学など)、森林病理学(樹病学)に分けられる。また内容によって、病気の流行機構を追究する疫学、薬剤などを含む防除に関する防除学、あるいは病原の種類によって植物ウイルス病学、細菌病学、菌類病学などにも分けられる。
植物病理学が人間の医学と大きく異なる点は、医学は個々の人間を主体にした個体医学が中心になっており、伝染性の病気から生理的さらには精神的な病気が重要視されている現状に対し、植物病理学では、個々の植物の被害より、集団として被害をどのように防ぐかに重点を置いた集団医学的な性格が強い点である。したがって、病原微生物の寄生による伝染性の病気が研究の主対象になっており、養分の欠乏などによる被害については土壌学や作物生理学のなかで取り扱われている。
[梶原敏宏]
植物の病気のもっとも古い記録は『旧約聖書』に黒穂(くろほ)、銹(さび)などがみられるが、神の怒りに基づくと考えられていた。病原が微生物であると考えられるようになったのは、顕微鏡が発明されたのち、18世紀中期以後である。とくに、ドイツのド・バリAnton de Bary(1831―1888)は、1861年にジャガイモ疫病が菌の寄生によること、1865年にはさらにコムギの重要な病気である黒さび病について宿主交代の事実を明らかにするなど、植物病原菌学の基礎を築いた。その後、病原菌類の形態と分類を中心に発達したが、1883年フランスのミラルデAlexis Millardet(1838―1902)は、ブドウべと病に対し硫酸銅と石灰を混合したボルドー液が有効であることを発見、農薬による病気の防除の基礎をつくった。
一方、アメリカではビュリルThomas J. Burrill(1839―1916)、スミスErwin Frink Smith(1854―1927)が植物の細菌病学を確立した。ウイルスについては、タバコモザイク病が細菌より小さい濾過(ろか)性病毒により伝染することが、1892年ロシアのイワノフスキーД.И.Ивановский/D. I. Ivanovskiy(1846―1920)により明らかにされたが、日本の高田鑑三は1895年(明治28)イネ萎縮(いしゅく)病がヨコバイによって伝染することを発見、植物ウイルスの虫による媒介を世界で初めて報告した。
日本においては、明治時代は研究活動の準備期であって、病原菌の探求と決定がおもなものであった。大正時代は拡充期に入るが、研究機関も整備され研究者の数も増加、1916年(大正5)に日本植物病理学会が創立された。昭和年代に入り、防除の体制も整い、試験場、大学での研究成果が実際に活用されるようになり、農作物の安定生産に大きく貢献するようになった。
[梶原敏宏]
2000年(平成12)1月現在、日本植物病理学会員は1842名に達しており、植物病理学の多岐にわたる分野の試験研究を行っている。植物の病気は数のうえからは菌類病が圧倒的に多いため、研究もこれに関連するものが多い。とくにイネの最大の病害であるいもち病に関する研究は、量的にも質的にも世界の最先端にある。近年被害が増大しているウイルス病については、病原ウイルスの同定をはじめとし、ウイルスそのものの理化学的性質、植物体内における増殖の機構、新しい治療法の開発など、今後の重要な研究課題として研究が進められている。従来ウイルス病と考えられていたクワ萎縮病、イネ黄萎病などの病原については、ウイルスでなくマイコプラズマ様微生物(1994年以降、ファイトプラズマという)であることを土居養二らが1967年(昭和42)明らかにし世界の注目を浴びたが、これに関する研究も精力的に進められている。病害の数はあまり多くないが、防除困難な病害として青枯病などの細菌病があり、これらに関する研究も重要視されている。基礎的な問題として、特定の病原がなぜ特定の植物だけを侵すのか、植物病理学のもっとも基本となる問題について、生化学的手法、電子顕微鏡などを用いて病原と宿主植物の相互関係について解析が続けられているが、根本的な解決にはまだほど遠い。
病害のもっとも有効な防除法としては、抵抗性品種の利用があり、イネなど多くの作物で病害抵抗性の新品種が育成されたが、普及して数年経過すると著しく発病する事例がイネいもち病などで認められている。これは病原の特別な系統(レース)の発生によることが明らかにされたが、抵抗性と罹病(りびょう)化の機構解明も今後の重要な課題といえる。防除薬剤については、イネいもち病に卓効を示し広く普及した有機水銀剤は残留毒性のため1968年(昭和43)使用が禁止されたが、これにかわるものとして抗生物質や有機合成剤が開発されている。とくに1980年代からは、万能でなく特定の菌にだけ有効な農薬の発達が目覚ましい。しかし他方では、連用するうちにこれに抵抗力のある耐性菌が出現する頻度も高く、重要視されている。また最近は野菜類などの産地形成に伴って集約的な連作が行われているが、これとともに土壌病害による連作障害が問題になっており、研究が進められている。しかし、発生生態が複雑で防除は困難を極めており、輪作などを取り入れた生態的防除の必要性が指摘されている。
[梶原敏宏]
植物の病気を対象にし,病気の原因,発病の生態,機序,あるいはその防除を取り扱う学問。いっぽうでは植物の病気に関する総合的な学問を植物病学とし,植物病理学はこの中で発病の原理を研究する一分野であるという意見や,さらには病態解剖学に近いものを植物病理学と考える意見もある。
植物の病気diseaseとは,植物が本来その個体の発揮すべき正常な生理機能が乱された状態をいうが,昆虫などの食害,強風による枝の折損などは障害injuryとして病気には含めない。病気を起こす主因となるものには,菌,細菌,マイコプラズマ,ウイルス,ウイロイドなどの病原のほかに,養分の欠乏,過剰がある。植物病理学の祖をいずれに求めるかは難しいが,19世紀半ばごろからヨーロッパ,アメリカで著名な研究が行われている。とくにドイツの植物学者デ・バリーHeinrich Anton de Bary(1831-88)が,アイルランドに大飢饉をもたらしたジャガイモ疫病の病原が菌類であることを明らかにしたのは有名である。また同じころドイツの植物学者キューンJulius G.Kühn(1825-1910)は顕微鏡を使った作物病の研究や近代的総合試験場の創設など農作物の病気について進んだ研究を行っている。日本では,明治に入ってから教育・研究機関が設置され,これとともに国内で研究者が育ってきた。札幌農学校(現,北海道大学)出身の宮部金吾と,東大出身の白井光太郎が日本における斯学(しがく)の泰斗といえよう。研究をまとめる学会の設立は1916年のことである。はじめ個人会員110名で出発した日本植物病理学会は,第2次世界大戦後目覚ましい拡充発展を遂げ,昭和30年代には1000名をこえ,現在では2000名に近い。
農作物の生産は災害との闘いであるといわれる。植物病理学は病気の原因を究明し,発病環境,病原の生活環,伝染方式などを明らかにして防除のための基礎資料を提供するとともに,発生を予察し,防除方法の改善を研究するなどして増収に寄与してきた。植物病理学は実用的には作物を取り扱うことが最も多いため,研究の動向は農業政策に左右されることも否めない。日本の主食が米であり,昭和初期にイネの冷害不作が深刻となったので,その対応としていもち病の研究が盛んとなった。いもち病研究は日本のものが国際的にも最も進歩しており,また国内の他作物の病害と比較してもその研究の量は膨大なものがある。抵抗性因子の解析,菌のレース(特別な系統),防除薬剤の開発,罹病イネの病態生理,胞子飛散の測定など広範にわたる研究がある。主要研究機関としては農林水産省の中央・地方農業試験場,研究所,各県農業試験場,大学,民間農薬会社の研究所などがある。日本人の研究で植物病理学史上特筆されるものは,イネ萎縮病ウイルスがヨコバイで経卵伝染することを証明した福士貞吉の研究,およびクワ萎縮病などから,植物ではじめてマイコプラズマ様微生物を発見した土居養二らの研究である。
執筆者:寺中 理明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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