植物学者。福井市生まれ。東京英語学校、東京大学予備門を経て、1886年(明治19)東京大学理学部植物学科を卒業。斎田功太郎(1859―1924)に次ぐ二人目の同学科卒業生であり、卒業論文での東京とその周辺の蘚(せん)類の研究は、日本における蘚類の学術的研究の始まりとみなされる。その後、ドイツに留学して植物病理学を研究。1907年東京帝国大学農科大学教授となる。1925年(大正14)退官。もち病、てんぐ巣病の研究を手がけ、『植物病理学』(1903)を著した。森林植物学の開拓に貢献し、また植物の奇形の研究、本草(ほんぞう)学にも造詣(ぞうけい)が深く、『植物妖異(ようい)考』(1925)、『植物渡来考』(1929)、『日本植物学年表』(1891)の著作がある。
[佐藤七郎]
明治〜昭和期の本草学者,植物病理学者 東京帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
越前(福井県)福井出身。斎田功太郎につぐ東京大学理学部植物学科の第2人目の卒業者。その卒業論文は東京とその周辺の蘚(せん)類の研究で,これは日本における蘚類の学術的研究の先駆けと評価されている。ドイツに留学して植物病理学を移入した。農学部教授。餅病,てんぐ巣病の研究をおこない,《植物病理学》(1903)の著がある。森林植物学の開拓者ともみなされる。また,植物の奇形,本草学の研究にも造詣ふかく,《植物妖異(ようい)考》(1925),《植物渡来考》(1929),《日本博物学年表》(1891)など,植物学と文化とを結びつける著述活動で功績をのこした。
執筆者:佐藤 七郎
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…い,いる,ひく,はる,もと,すえ,つる,よる,かえる,や,音などにかかる枕詞として歌に詠まれた梓弓の梓にあたる植物には,古来キササゲ,アカメガシワ,オノオレ,リンボク(ヒイラギガシ)などの諸説があり一定しなかった。ところが白井光太郎がカバノキ科のヨグソミネバリ(ミズメ)説を唱え,正倉院の梓弓についての顕微鏡的調査の結果からも実証され,現在これが定説になっている。このほか,アサダ,ナナカマド,ニシキギなどにも〈アズサ〉の方言がある。…
※「白井光太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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