楊国忠(読み)ヨウコクチュウ

デジタル大辞泉 「楊国忠」の意味・読み・例文・類語

よう‐こくちゅう〔ヤウ‐〕【楊国忠】

[?~756]中国政治家永楽山西省)の人。本名しょう又従姉妹またいとこにあたる楊貴妃の縁により玄宗皇帝に登用されて宰相となったが、安禄山の乱で貴妃とともに殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊国忠」の意味・わかりやすい解説

楊国忠
ようこくちゅう
(?―756)

中国、唐の玄宗朝の宰相。本名は釗(しょう)、蒲州(ほしゅう)永楽(山西省芮城(ぜいじょう)県)の楊氏の一員で、則天武后(そくてんぶこう)の寵臣(ちょうしん)張易之(えきし)は舅(おじ)。楊貴妃は従祖妹(またいとこ)にあたる。無学のならず者軍人となったが、楊貴妃が玄宗の寵を受けると親戚(しんせき)として登用され、監察御史(かんさつぎょし)となり、楊貴妃に帝の意向を探らせ宮中の情報を握って勢力を得、宰相李林甫(りりんぽ)と結び出世を図った。計算に明るく度支郎中(たくしろうちゅう)となって財政手腕を発揮、玄宗から国忠の名を賜った。751年南詔(なんしょう)遠征に7万の軍を率いて失敗したが報告せず、李林甫が死ぬと後任として宰相に任ぜられ(752)、権勢独占を図って安禄山(あんろくざん)と対立、安史の乱を誘発した。禄山の軍が長安に迫ると都を捨てて四川(しせん)に逃亡しようとし、途中、馬嵬(ばかい)駅(陝西(せんせい)省興平県)で楊貴妃とともに兵士らに殺された。

[菊池英夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「楊国忠」の意味・わかりやすい解説

楊国忠 (ようこくちゅう)
Yáng Guó zhōng
生没年:?-756

中国,唐の玄宗代の宰相。本名は釗(しよう)。楊国忠は玄宗からの賜名。永楽(山西省芮城県)の人。兵卒より楊貴妃再従兄として監察御史に任ぜられ,宰相李林甫と結び重んぜられた。752年(天宝11),李林甫が死ぬと宰相になり,李林甫一派を排除して実権を握った。やがて安禄山と対立,安史の乱を誘発させ,その翌年6月,玄宗に随伴して四川省成都に落ちる途中,咸陽の西方,馬嵬(ばかい)駅にて兵士たちに惨殺された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊国忠」の意味・わかりやすい解説

楊国忠
ようこくちゅう
Yang Guo-zhong; Yang Kuo-chung

[生]?
[没]天宝15(756).馬嵬坡
中国,唐中期の権勢家。蒲州永楽 (山西省 芮城県) の人。本名はしょう。楊貴妃の親戚として登用され,宰相李林甫と結んで財政的手腕を発揮した。国忠とはこの頃玄宗から与えられた名。侵攻する南詔に対して7万の兵を率いて討伐にあたったが失敗。天宝 11 (752) 年李林甫の死で宰相となり,中央政界をその一派で占め,また安禄山の失脚を画策,これが安史の乱の誘因となった。乱が起ると,玄宗に従って四川に逃れる途中,楊貴妃とともに馬嵬坡で殺された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「楊国忠」の解説

楊国忠(ようこくちゅう)
Yang Guozhong

?~756

本名釗(しょう)。楊貴妃の一族であった関係で都に出,財政手腕を認められた。国忠の名を賜い,宰相となったが,安禄山(あんろくざん)と反目して安史の乱を招き,逃亡の途中馬嵬(ばかい)駅で殺された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「楊国忠」の解説

楊 国忠
ようこくちゅう

?〜756
唐の政治家
本名は楊釗 (ようしよう) 。楊貴妃 (ようきひ) のまたいとこといわれる。玄宗に重用されて国忠の名を賜り,宰相として権勢をふるった。安禄山 (あんろくざん) の乱で,逃れる途中,楊貴妃とともに殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の楊国忠の言及

【玄宗】より

… だが玄宗はしだいに意欲を失い武恵妃さらに実子寿王の妃楊玉環(楊貴妃)を溺愛し,政治を顧みなくなり,管絃,宴遊にうつつをぬかすありさまであった。李林甫が死に,貴妃の縁につながる楊国忠が実権を握ると,不仲の安禄山は755年(天宝14)11月,君側の奸楊国忠を除くと称して兵を挙げ(安史の乱)洛陽をおとして帝位につき,さらに兵を派して長安に迫った。玄宗は蜀(四川省成都市)に逃れたが,貴妃と楊国忠は途中の馬嵬(ばかい)駅で殺された。…

【唐】より

…この戸口増加のみられた時期には,北方の遊牧民族との戦禍が内地に及ぶことはなく,いつの世にも起こりがちな内乱もほとんどなかったのである。
[安史の乱と藩鎮の割拠]
 玄宗朝の末年,長安の宮廷にはびこる楊貴妃およびその一族の楊国忠の一派と,北辺で3節度使を兼ねた最強の武将安禄山の一派との間で確執が生じた。両者の不和が頂点に達した755年11月,異民族出身で6ヵ国語に通じた安禄山は,楊国忠を誅除することを標榜して范陽(現在の北京)で反乱を起こした。…

【肉】より

…明代の医書《類経》も脾が肌肉を支配すると述べているが,肌肉は皮下脂肪を含む柔らかな皮下組織のことである。《書言故事》によれば,唐の楊国忠は酒宴のおりに,多くの女性に机や食膳を持たせてこれを〈肉台盤〉と称し,冬には客のまわりを取り囲ませて〈肉屛風〉と言い,皮下脂肪に富む太った女性を並べて風を防いで〈肉障〉と言った。李漁の作とされる艶書《肉蒲団》は数人の美女と閨房をともにする男の物語である。…

※「楊国忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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