中国、唐の玄宗朝の宰相。本名は釗(しょう)、蒲州(ほしゅう)永楽(山西省芮城(ぜいじょう)県)の楊氏の一員で、則天武后(そくてんぶこう)の寵臣(ちょうしん)張易之(えきし)は舅(おじ)。楊貴妃は従祖妹(またいとこ)にあたる。無学のならず者で軍人となったが、楊貴妃が玄宗の寵を受けると親戚(しんせき)として登用され、監察御史(かんさつぎょし)となり、楊貴妃に帝の意向を探らせ宮中の情報を握って勢力を得、宰相李林甫(りりんぽ)と結び出世を図った。計算に明るく度支郎中(たくしろうちゅう)となって財政手腕を発揮、玄宗から国忠の名を賜った。751年南詔(なんしょう)遠征に7万の軍を率いて失敗したが報告せず、李林甫が死ぬと後任として宰相に任ぜられ(752)、権勢独占を図って安禄山(あんろくざん)と対立、安史の乱を誘発した。禄山の軍が長安に迫ると都を捨てて四川(しせん)に逃亡しようとし、途中、馬嵬(ばかい)駅(陝西(せんせい)省興平県)で楊貴妃とともに兵士らに殺された。
[菊池英夫]
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?~756
本名釗(しょう)。楊貴妃の一族であった関係で都に出,財政手腕を認められた。国忠の名を賜い,宰相となったが,安禄山(あんろくざん)と反目して安史の乱を招き,逃亡の途中馬嵬(ばかい)駅で殺された。
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… だが玄宗はしだいに意欲を失い武恵妃さらに実子寿王の妃楊玉環(楊貴妃)を溺愛し,政治を顧みなくなり,管絃,宴遊にうつつをぬかすありさまであった。李林甫が死に,貴妃の縁につながる楊国忠が実権を握ると,不仲の安禄山は755年(天宝14)11月,君側の奸楊国忠を除くと称して兵を挙げ(安史の乱)洛陽をおとして帝位につき,さらに兵を派して長安に迫った。玄宗は蜀(四川省成都市)に逃れたが,貴妃と楊国忠は途中の馬嵬(ばかい)駅で殺された。…
…この戸口増加のみられた時期には,北方の遊牧民族との戦禍が内地に及ぶことはなく,いつの世にも起こりがちな内乱もほとんどなかったのである。
[安史の乱と藩鎮の割拠]
玄宗朝の末年,長安の宮廷にはびこる楊貴妃およびその一族の楊国忠の一派と,北辺で3節度使を兼ねた最強の武将安禄山の一派との間で確執が生じた。両者の不和が頂点に達した755年11月,異民族出身で6ヵ国語に通じた安禄山は,楊国忠を誅除することを標榜して范陽(現在の北京)で反乱を起こした。…
…明代の医書《類経》も脾が肌肉を支配すると述べているが,肌肉は皮下脂肪を含む柔らかな皮下組織のことである。《書言故事》によれば,唐の楊国忠は酒宴のおりに,多くの女性に机や食膳を持たせてこれを〈肉台盤〉と称し,冬には客のまわりを取り囲ませて〈肉屛風〉と言い,皮下脂肪に富む太った女性を並べて風を防いで〈肉障〉と言った。李漁の作とされる艶書《肉蒲団》は数人の美女と閨房をともにする男の物語である。…
※「楊国忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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