粛軍
しゅくぐん
二・二六事件後の陸軍粛正問題。1936年(昭和11)の二・二六事件は宮中や政界、財界に大きな衝撃を与え、国民の間にも反軍的空気が広がった。これに対し寺内寿一(てらうちひさいち)陸相を中心とする陸軍首脳部は再三にわたって粛軍を言明、反乱軍将校の厳罰、真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)、荒木貞夫(あらきさだお)、川島義之(かわしまよしゆき)ら7大将の予備役編入、大規模な人事異動などの措置をとり、その鎮静化に努めた。しかし、その実際に意味するところは、皇道派の一掃と直接行動の禁圧とによる新首脳部の統制強化、人事構成の若返りにほかならず、むしろ陸軍は粛軍と政治の改革とは不可分の関係にあるとしたうえで、政治への介入を一段と強化してゆくこととなった。
[吉田 裕]
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粛軍
しゅくぐん
軍において統制を乱す分子を一斉に追放,あるいは左遷すること。特に日本で 1936年の二・二六事件後,用いられた言葉。陸軍は反乱将校をきびしく処断する一方,6ヵ月後に 3000人以上の将校の大異動を行なったが,この異動は一般に「粛軍人事」と呼ばれた。また,この粛軍によって統制派が皇道派を完全に制したが,これを機会に軍の政治への干渉は一層強まった。
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しゅく‐ぐん【粛軍】
〘名〙 軍の
規律を厳正にすること。特に昭和一一年(
一九三六)の二・二六事件後、旧陸軍の規律粛正のために行なわれた刷新人事をいう。これにより皇道派が一掃され、統制派が支配権を握った。〔新語常識辞典(1936)〕
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しゅくぐん【粛軍】
軍内部の粛正を指すが,日本の近代史においては,二・二六事件前後の時期に陸軍内部の派閥争いをめぐって問題となった。最初に粛軍を唱えたのは,1935年7月,村中孝次,磯部浅一が発表した〈粛軍に関する意見書〉であり,それは士官学校事件をでっちあげて青年将校運動を弾圧した責任を追及するとともに,1931年の三月事件,十月事件が陰ぺいされていることに軍不統制の原因があるとして,関係者の粛正を求めたものであった。
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