古代律令制(りつりょうせい)下において、国司が中央政府に提出した1年間の正税の決算報告書。律令時代、人民から国庫に徴した田税(でんぜい)を正税という。正税は大税とも官稲とも称した。広義には、諸国の倉に納められ年間の費用にあてる田租を意味したが、狭義には公廨稲(くがいとう)や雑稲(ぞうとう)に対する公出挙稲(くすいことう)をさすこともある。田租は別納租穀や舂米(しょうまい)として京に運ばれるほかは、国の正倉や郡倉に収められ、諸国のいろいろな費用にあてられた。そのおもなものは、出挙、借貸(しゃくたい)、公廨、例用(れいよう)、臨時用などである。例用とは、地方国衙(こくが)での年中恒例行事の費用にあてるもので、神社の幣帛(へいはく)料、最勝王経(さいしょうおうきょう)転読料、釈奠(せきてん)料、駅馬飼秣(しまつ)料および交易雑物の購入料などである。臨時用は、太政官符(だいじょうかんぷ)などの命令によって臨時に支出する費用である。そのほか、国司巡行や駅伝使の往来なども、すべて正税でもってまかなわれた。
諸国では、毎年の正税の収納高、支出、残高などを書き上げた帳簿をつくった。それが正税帳である。記載様式は、『延喜式(えんぎしき)』主税の条に詳細に記されているが、天平(てんぴょう)年間(729~749)の正税帳や郡稲帳が25通ばかり正倉院文書として残されている。それは左京(さきょう)(天平10)、大倭(やまと)(天平2)、摂津(せっつ)(天平8)、和泉(いずみ)(天平10)、伊賀(いが)(天平2)、尾張(おわり)(天平2、天平6)、駿河(するが)(天平9、天平10)、伊豆(いず)(天平11)、越前(えちぜん)(天平2)、佐渡(さど)(天平8)、但馬(たじま)(天平8)、隠岐(おき)(天平1、天平5)、播磨(はりま)(天平10)、周防(すおう)(天平7、天平10)、長門(ながと)(天平8)、紀伊(きい)(天平2)、淡路(あわじ)(天平10)、伊予(いよ)(天平8)、筑後(ちくご)(天平10)、豊後(ぶんご)(天平8)、薩摩(さつま)(天平8)であるが、多くは断簡である。正税帳を中央官庁に差し出すのは、『延喜式』民部の条には2月30日以前とされるが、西海道の諸国諸島は2月30日以前に大宰府(だざいふ)に送り、そこで覆勘(ふくかん)されて5月30日以前に太政官に送る規定であった。諸国から正税帳を進める国衙(こくが)の役人を正税帳使(正税使)というが、正税帳使は正税帳のほかに義倉(ぎそう)帳、官田地子(じし)帳なども附帯して京に赴いている。正税帳は、民部省主税寮で各綱目ごとに検査され、記載の誤りや、不正があれば返却された。たとえば大国1万束、上国8000束、中国6000束、下国4000束の誤算が指摘されれば、正税帳は返され、補填(ほてん)が命ぜられた。この摘発した帳簿は正税返却帳という。以上のように正税は地方財政の中心をなしていたから、国司の交替にあたっては、在任中の欠損を補填させ、ときには検税帳使を派遣して検察を加えることもあった。
[井上辰雄]
『井上辰雄著『正税帳の研究』(1967・塙書房)』
奈良・平安時代に諸国において作成された1年間の正税(大税)の収支決算書。毎年同じものが少なくとも3通作成され,2通を正税使(税帳使)が付属帳簿(枝文(えだぶみ))とともに中央政府に提出した。現存の正税帳では730年(天平2)度のものがもっとも古く,天平期のものは二十数通《正倉院文書》の中に残っている。稲穀の数量を中心に,前年度からの繰越高,出挙(すいこ)の利息や田租収入,1年間支出細目,年度末の残高などが詳しく記載されている。その国の財政をはじめ中央や地方との物資や人々の交流,国司らの任地における1年間のおもな活動,賑給(しんごう)の実施記事ほか当時の社会を具体的に知ることができる貴重な史料である。中央に提出された正税帳は民部省で精査され,記載内容に不備があれば帳簿は返却され不足分の塡納を命じられることもあった。摘発を受けて差し戻された帳簿を正税返却帳といい,実例としては1078年(承暦2)の出雲国のものがある。平安時代の正税帳には摂津国正税帳案があるが内容はすでに形式的なものとなっている。
執筆者:舟尾 好正
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税帳・大税帳とも。律令制下の公文(くもん)。諸国の正税の出納状況や現在量を記録した帳簿で,毎年正税帳使に付して2月末(大宰府管内は5月末)までに税帳枝文(えだぶみ)とともに中央に提出され,民部省・主税寮での監査(税帳勘会(かんかい))をうけた。勘会で不備や未納・欠負が明らかとなった場合には,損益帳が作成されて主税寮に留められ,正税帳自体は正税返却帳をそえて国司に返却された。正倉院文書には天平年間の多くの正税帳の断簡が残り,「延喜式」には正税帳の書式が規定された。税帳勘会は8世紀末から9世紀にかけて重視されていたが,やがて形骸化し,正税帳も実質的機能を失って吉書(きっしょ)としての性格を帯びるようになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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