改訂新版 世界大百科事典 「英祖」の意味・わかりやすい解説
英祖 (えいそ)
Yǒng-jo
生没年:1694-1776
朝鮮,李朝第21代の王。在位1724-76年。文芸復興の王として知られ,31歳で即位し李朝では最長の治世52年に及んだ。即位当初から臣下間の党争の調停に心をくだき,蕩平策とよばれる各派閥から人材を登用する政策をとり,臣下との調和に努めた。また社会政策の面でも度支定例や均役法などの財政・税制改革を行い,寛刑の実施,申聞鼓とよばれる民衆の直訴制度の復活など,王道理念からする数々の政策を実施した。その基礎には《六典》や《続大典》などの法典の整備,《続五礼儀》や《東国文献備考》などの一種の百科事典の編纂事業などがあった。晩年にはみずからの手で実子である思悼世子を暴虐行為を理由にひつの中に閉じこめて死にいたらしめるという悲劇をうみ(1762),その妥当性をめぐって臣下間に時派(世子に同情),僻派(世子を批難)の党争を生んだが,自身は耆老(きろう)所(一種の敬老組織)で天寿を全うした。
執筆者:鶴園 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報