残酷演劇(読み)ざんこくえんげき(その他表記)théâtre de la cruauté

改訂新版 世界大百科事典 「残酷演劇」の意味・わかりやすい解説

残酷演劇 (ざんこくえんげき)
théâtre de la cruauté

フランスの詩人・演出家・俳優A.アルトーによってもたらされた演劇理念。1920年に俳優としてデビューしたアルトーは,残酷演劇実践の試みであった《チェンチ一族》の上演失敗(1935)など,実際の舞台には成果は残さず,38年に出版された〈残酷演劇宣言〉(1932発表)を含む理論書《演劇とその分身Le théâtre et son double》によって,書物を通じて新しい演劇観を啓示し,のちの演劇に多大な影響を与えた。

 アルトーにとって演劇とはまず〈埋没する自己〉を再発見する手段であり,《NRF(新フランス評論)》誌編集長J.リビエールあての手紙にあるように,舞台の演技は精神の存在証明の方法にほかならなかった。当時のヨーロッパの文化や美学が否定されるのは,それらが真の生との結びつきを失ってしまったからであり,自己の埋没した精神を再発見し,根元的な生とのつながりを取り戻すためには,〈生から離れるのではなく,生に結びつく〉始原的な演劇をよりどころに文化革命を達成し,生の感覚を再び自分のものにしなければならない。その根元にある生との関係における厳密さと必然としての〈残酷〉を恐れぬ,〈ペストと同じように黒い力の勝利である〉演劇こそが,アルトーのいう残酷演劇なのであった。それは従来の娯楽や芸術のための演劇ではなく,物,感情,肉体,運動などとの生々しい関係を失った,力のない〈ことば〉による論理的な叙述や心理描写を排して,言語が元来もつ呪術的・魔術的な力を用い,観客の全存在に訴えて,その変革を迫ろうとする試みである。アルトーのこの用語はしばしば誤解されるのだが,〈残酷〉とは肉体的暴力とはまったく関係がない。むしろ演出の優位を保ち,照明,音楽,小道具などのあらゆる手段と俳優の身ぶりや叫びを巧妙に併せて,肉体的=物理的に舞台空間を埋めることで,舞台と客席の区別を排しながら演劇を魔術的儀式陶酔へと導くことを目的とする。このような残酷演劇の理論は,詩的直観による発想であり,その完璧な実現はほとんど不可能であるが,J.L.バロー,P.バイス,F.アラバルP.ブルック,また,J.ベックリビング・シアターなど,現代の代表的な演劇人や50年代,60年代を中心とするいわゆる前衛劇運動に大きな影響を残している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「残酷演劇」の意味・わかりやすい解説

残酷演劇
ざんこくえんげき
théâtre de la cruauté

フランスの詩人で演出家の A.アルトーによって主張された演劇理念。彼は 1932年『残酷の演劇第一宣言』『残酷についての手紙』,33年『残酷の演劇第二宣言』を書き,「残酷演劇有限会社」の設立を企てた。 35年その理念実現のため,シェリー原作の『チェンチー族』を改作上演し,その失敗にもかかわらず晩年にも『残酷の演劇』 (1948) と題する詩形式の小論を発表した。アルトーは (1) 残酷とは人間を取巻く宇宙の残酷さ,諸存在の根源的な悪と生命の欲望との戦いのことで,必ずしもサディズムや流血によるものではない。もしそれらが舞台化されるとしても表現の一手段としてである。 (2) 表現手段は,知性に訴える論理的な言語に頼るのではなく,観客の心身に直接訴える表現手段を動員して観客を動揺させ,日常性から脱却させるものでなければならない,と主張した。このアルトーの主張は,J.-L.バローや R.ブランに受継がれ,また 1960年代以降,アメリカのリビング・シアターやポーランドの演出家 J.グロトフスキ,イギリスの P.ブルックらの演出家に大きな影響を残している。

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世界大百科事典(旧版)内の残酷演劇の言及

【アルトー】より

…幼少時の脳髄膜炎の後遺症に苦しみ麻薬を常用するが,《NRF(新フランス評論)》編集長J.リビエールとの《往復書簡》(1924),《冥府の臍》《神経の秤》(ともに1925)は,人間存在の基部における破壊の体験,言語の〈不能力〉について,骨髄から発する〈肉〉の叫びに満ちた告白である。アルフレッド・ジャリ劇場の創設とシュルレアリスムとの絶縁(ともに1926),C.T.ドライヤーの《裁かるるジャンヌ》やA.ガンス《ナポレオン》などの映画出演の後,俳優,演出家として西洋演劇を根底から変革しようという情熱は,31年,パリ植民地博覧会で見たバリ島の演劇の衝撃をきっかけに〈残酷演劇〉の主張となる。作家の書いた戯曲の上演ではなく,ことばを廃止するかその用い方を変えた全的身体所作による呪術的・祭儀的演劇を構想した。…

【前衛劇】より

…リブモン・デセーニュ,レーモン・ルーセルなどの作品,あるいは《ユビュ王》初演30年後に結成された〈アルフレッド・ジャリ劇場〉の推進者R.ビトラックA.アルトーなどの実験的作品がその後に続く。とくにアルトーが主張した演劇における舞台言語の読み直しや,分節言語ではなく肉体言語によって空間を肉体的=物理的に埋めようとする残酷演劇の試みは,50年代前衛劇や,日本のいわゆる〈アングラ演劇〉なども含めて,その後の世界的な運動の高まりの中でしばしば見られた試みとほとんど共通のものであり,その先取りであったということができよう。 40年代の終りころ,パリのカルティエ・ラタンの小劇場を中心にいわゆる〈不条理の作家〉たちが登場した。…

【全体演劇】より

…全体演劇とは,いわゆる心理劇のようなせりふ中心の〈部分的演劇〉に対して,演劇本来の理想の姿をまるごとの人間の生の芸術としてとらえ,そのような演劇の全体性を,具体的には台本,装置,舞踊,マイム,映像,音響,運動など,およそありとあらゆる舞台の手段を完全に利用して,一つの新しい演劇独自の言語を創造することによって回復しようとする試みである。このような演劇理念は,1910年代以降に,革命期のロシア・アバンギャルド演劇,イタリアの未来派,ドイツ表現主義,バウハウスの運動,シュルレアリスム運動などの中に部分的に見られたが,未曾有の大胆さによる全体性の概念はフランスの詩人・演出家A.アルトーが説いた〈残酷演劇〉によって結実する。彼はもともとシュルレアリスム運動の首唱者だったが,このような演劇手段の無限定な解放の中で,彼は現代文明の生活様式の底に沈澱している呪術的祭儀的感情と価値とをすくい上げ,始原のものとの接触を探求したのであった。…

【フランス演劇】より

…モンテルランらの新作上演やシャロン,イルシュらによる活力ある喜劇の職人芸によってなお主流を誇ってきたコメディ・フランセーズをかっこ付きの〈伝統の牙城〉として孤立させ,ベルスタイン,パニョルからアシャール,ルッサン,アヌイを経て,カモレッティ,ポアレに至るウェルメード・プレー(50年代までは,多くは三角関係を主題とした風俗喜劇)によりロングランを続けていた町中の商業劇場を,〈ブールバール劇〉として否定する視座を普及させることになる。
[〈68年型演劇〉とその後]
 アルトーが30年代に主張した〈残酷演劇〉の徴の下に,ポーランドのJ.グロトフスキとオフ・オフ・ブロードウェーからきたリビング・シアターの刺激によって出現する〈68年型演劇〉は,〈肉体の演劇〉による〈言葉の演劇〉の廃絶をはじめ,ラディカルな〈異議申立て〉であろうとした。そこではビラール型民衆演劇と地方分化の限界が告発され,〈ブレヒト革命〉の挫折が宣せられる。…

※「残酷演劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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