日本大百科全書(ニッポニカ) 「母衣」の意味・わかりやすい解説
母衣
ほろ
甲冑(かっちゅう)の背につけた幅の広い布で、風にはためかせたり、風をはらませるようにして、矢などを防ぐ具とした。五幅(いつの)(約1.5メートル)ないし三幅(みの)(約0.9メートル)程度の細長い布である。中世以降、色を染めたり、紋章をつけて旗幟(きし)のかわりともした。『三代実録』の貞観12年(870)の条にその名称があって甲冑の補助とするとあり、『本朝世紀』久安3年(1147)の条に、幅広い布を鎧武者(よろいむしゃ)がまとい、これを世人が「保侶(ほろ)」とよんだとし、また中世、『吾妻鏡(あづまかがみ)』の建仁3年(1203)の条に母衣の故実(こじつ)の記事がみえる。絵画としては『平治(へいじ)物語絵巻』(六波羅(ろくはら)合戦)や法隆寺の絵殿の太子絵伝に母衣着用の騎馬の甲冑姿がある。『保元(ほうげん)物語』『平家物語』『太平記』などに登場する華麗な戦衣でもある。近世に至って、神秘的な付会もされ、種々な故実も生じた。古くは十幅(約3メートル)で、1丈(約3メートル)などという大きなものがあったが、ほぼ1.5メートル四方程度となった。しかしとくに一定した寸法の定めはない。上辺と下辺に紐(ひも)をつけて背に結び、あるいは、竹籠(たけかご)を母衣串(ほろぐし)につけてこれを包み、背後の受け筒に挿したりして、一種の旗指物(はたさしもの)ともなった。別に背に負うた矢を包む母衣状の矢母衣(やぼろ)もある。
[齋藤愼一]