布きれや竹木,羽毛などの作り物を竿頭につけ,守護神を勧請して加護を祈ったもので,戦場では敵味方の識別に用いられるようになり,後には自己の戦功をも顕示した〈しるし〉。〈はた〉の語源や原形は明らかでないが,ひらめく布きれをいうのであろう。元来旗は恒例・臨時の祭りに神を招く招代(おぎしろ),依代(よりしろ)として,よりつきやすい高い棒の先端に,目だつさまざまの形体の作り物をつけ垂らしたものである。
ふつう神が勧請されるのは神事の場であるが,別に重要な事件は戦争であった。神はつねには身近に存在せず,招きに応じて現れ,戦いを勝利に導いてくれるものであるから,そのための軍旗が必要であり,平時には不要のものであった。日本の軍旗の源流とみなされるものは,武士が台頭し,源平の二大武士団が対立抗争した12世紀に現れる。軍記物語にあるのみで明らかではないが,源氏は白旗,平氏は赤旗で,源氏の旗は清浄無垢を示す白地に,源氏の守護神とされ後に軍神とされた八幡神の神号を書き記したもので,家人(けにん)もそれにならい用いた。平氏が滅び源頼朝が征夷大将軍となって政権をとると,身分の差を明らかにするため,いままで用いてきた源氏の旗は将軍のみのものとし,家人らにはこの共通の旗に,ある種の印を付加することによって区別するようにした。たとえば,佐竹氏には月を描いた扇を旗竿に結びつけさせ,畠山氏には小紋の藍革(あいかわ)をぶらさげさせた。旗の布地は八幡神の宿る聖域であるため,直接図柄をそこへ描き込むことがはばかられ,神の依代の一つとして付加するという意味もあったのであろう。児玉党と呼ばれる武士団は,その団結のシンボルとして唐団扇(とううちわ)の作り物を竿に結びつけていたようで,後世これらの子孫の家々は旗に唐団扇(軍配団扇)を描くようになり,これがやがて家紋となった。源氏の白旗が武家の主流となったゆえか,家紋も二,三を除いては白地に黒の単色となった。鎌倉時代から南北朝時代にかけては,惣領に率いられた一族一家の集団の間で戦闘が行われ,兜(かぶと),鎧(よろい)の色や模様,笠印(かさじるし)(兜につけた小旗,布きれ)などで個々の区別がついたので,集団の目印としての旗には神の記号(あるいは神の使者を示すハトやカラス,梶(かじ)の葉,神の象徴としての祭具などもある)の下に一族一家のシンボルである家紋を描くようになった。また神のシンボルそのものを家紋とすることもあった。
勢威を示すために多数の旗が用いられるようになると,本来の旗の意味が失われ,目印や威嚇としての軍旗の意味が強くなる。〈旗を立てる〉〈旗を揚げる〉という言葉は戦う意志を表し,味方を集める目印となり,〈旗の手を放す〉とは,ひらめかないように押さえていた旗の末端を放すことで,戦闘開始を意味した。一方,〈旗を巻く〉〈旗をしぼる〉は戦う意志のないこと,敗軍を意味する。戦意の高揚あるいは動揺を〈旗色がよい,悪い〉というように戦局の動きは旗に現れ,旗の動きが戦意を左右する。それゆえ大将,旗奉行は旗の扱いに十分留意した。
平時には旗は貴重なものとして特別な場所に格納された。とくに勝運のついた旗は,伝家の重宝として神聖視された。戦意を高め,敵を威嚇するために用いられた数幟(かずのぼり)などは,古びたよれよれのものでは士気に影響するので,新調され,精気にあふれたものが求められた。戦隊が新たに編制されると旗もまた新調される。意匠にくふうがこらされ,吉日を選び加持祈禱のうちに製作された。
軍使,降伏,談判のための白旗は古くは素幡(しらはた)とも記され,ヨーロッパでも古代から存在した。これは文字どおり,なんの色にも染めていない,なんの絵も字も描いていない素材としての白布である。敵味方いずれの神も降臨していない中立で戦意のないことを意味しており,中正な神を招き,審判を請うという考えを象徴したものと考えられる。
戦国時代に入って旧体制が崩れ,群雄割拠,下剋上の時代になると,個人の働きしだいで一国一城のあるじにもなれる時代風潮のなかで,自身の武功を敵味方に認めさせることによって,自分を高く評価してくれる主人を求め,あるいは論功行賞を見込んで他人と識別しやすい目だつ武装をするようになる。その最もよい方法は旗指物をくふうすることで,各自が趣向をこらした。従来の家紋のみの旗では個人の識別はできないし,旗手とはぐれては効果がないので,自分で持たねばならない。個別化した結果,いままで集団に降臨した神々を各自が信ずる神や仏に替え,招くことになる。そのため,小型軽量化した〈自身指物〉として,各自が背中や腰に差すようになった。したがって旗指物は代々継承されるものではなく,原則としてその身一代限りのものであった。
こうして戦場は金銀赤白黄黒紺など色とりどりの旗や旗指物の花盛りとなり,元亀・天正の1570年代は日本史上で最もはなやかな武装の幕あけとなった。武田軍の後をうけて集団戦を重視した井伊家のような場合は,朱一色に統一し,旗も規格化されたので,個人を示す最も簡便な方法として旗に姓名を記すようにさえなり,武威躍動を筆勢に示し,行書体が用いられている。旗の意匠には,目だつことを意図すると同時に,自身の心情,生死に対する諦観,勝利を祈る文言,金言,あるいはまた信仰する題目などを記したものもある。
江戸時代平時には〈まとい(纏)〉に変化し,消火の目印とされた。明治維新後は軍隊の洋式化によって規制され,方形の単純なものとなり,学校,団体のシンボルとして一般化した。旗手は初めは騎馬武者,戦国時代は老巧な旗奉行が差配した。
旗指物を由来,形状より大別すれば以下のようになる。(1)真(しん)の旗 神名を記し,家紋をすえ,一族一家のシンボルとされ,古式を守って,二布(ふたの)を縫合し,下部をはなした幡形式。錦旗もこの一種。(2)幟。(3)吹貫,吹流し 本来は矢戦などのための風見であったもの。円形,半円形の輪に色違いの布を先を縫合せず,長短好みに仕立てた。(4)馬印。
また,布紙製の旗の系統には,四半,小旗,なびき,しない,羽子(はご),切裂(きつさき),暖簾(のれん),短冊,角取紙(すみとりがみ),服紗(ふくさ)があり,鉾の類は紙竹木などの軽量の作り物で,鍬形,目籠,鬚籠(ひげこ),笠,唐傘,翳(さしば),唐団扇,扇,神仏具の幣,注連縄(しめなわ),釣鐘,錫杖(しやくじよう),提灯,団子,飾結び,制札,鳥獣,虫,笹,杉葉,鬼灯(ほおずき),大根などがある。
執筆者:加藤 秀幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…印の布地には,神仏の名号・呪文・真言などをも書くが,白布に大将の家紋をすえるのが一般的である。大きさは一幅以下で,鎧の袖より小さいようであるが,中には,大笠標と称し,旗指物に類するものもある。以上は室町時代までの様相で,いわゆる軍記物類に記されており,確証となる遺品は現存しない。…
※「旗指物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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